「家庭的な介護」の落とし穴。~介護施設は家ではない。
閲覧ありがとうございます。介護福祉士のTAKUMIと申します。
介護施設は、利用者に安心した生活を送って頂くために、「家のような」生活空間を作ることを心掛けています。
しかし、実際は、働く側が「家のように」過ごしてしまい、とても専門職としては認められないような雰囲気の施設もあります。
今回は、「家庭的な介護」を目指す上でのリスクについて考えていきたいと思います。
お付き合い下さいませ。
【目次】
介護施設は家ではない
介護職員さんにわかっていてほしいことが、介護施設は家ではないということです。
「そんなことはわかっている」かもしれません。
それを確かめるためにも、今回お話する「家庭的な介護」の落とし穴が自分の施設に当てはまってはいないかをチェックしてみて下さい。
これからお話する内容は、「家庭的な介護」を目指す上での落とし穴になるものです。
なあなあ口調
まずは「なあなあ口調」ですが、原因は完全に甘えによるものです。
介護施設を家のような雰囲気にするため、かしこまりすぎた言葉遣いを控えたり、認知症のある方に対して理解しやすいために、タメ口で話しかけたりするのはいいのですが、危険なのはそれがベースになってしまっている場合です。
いわゆる、「それぐらいいいじゃん」という雰囲気になっていくことが多いです。
それがどのようなリスクになるかというと、責任逃れにつながっていきます。
介護現場での仕事は精神的に抱えるものが多いため、責任から逃れる逃げ道を作ってしまえば、誰もが逃げ始めます。
女が賢いのか?男が馬鹿なのか?
そして、恐ろしい事実として、女性の職場では責任の所在が明らかでないことが多くあることです。
女性特有のシェアすることを重視する環境では、個人が責任を抱えるということが少ないのです。
すると、真面目で気弱な男性職員が責任を負うはめになることも多いです。
これは、女性が責任から逃れ男性に押し付けているという意味ではなく、「みんな」でやることを重視する女性に対して、「自分」でやると”勝手に”責任を負う男性のミスマッチによるものです。
時には厳しい規則も必要
話はそれましたが、結局のところ何が言いたいのかというと、責任の所在を明らかにするなど、時には厳しい規則を設けることも必要だということです。
利用者の方をお守りしなければいけない使命感、
細かい業務もこなしていかなくてはならない義務感。
様々な責任がある中、「誰が何をするのか」という役割分担を明確にし、その担当者として責任を持たせることがポイントです。
介護施設ではそういった意識が低いところが多いです。
「みんなで仲良くすればいいじゃん」といった空気を漂わせ、もしミスが起これば「自分のせいじゃない」と責任逃れが始まります。
それよりかは、「この仕事は◯◯さんがこなした」「◯◯さんはあの仕事を完成させた人だ」と尊重し合う雰囲気の方が良いでしょう。
競争社会を作るのではなく、お互いの尊厳を大切にするために、責任を持ちあうのです。
協働という名の責任の押しつけ合いをするよりはよっぽど有意義な仕事ができるでしょう。
グレーゾーン
続いて、グレーゾーンです。
介護現場は、とかくグレーゾーンが多いです。
「家庭的な介護」を目指す上で一番はまりやすい落とし穴ではないでしょうか。
介護現場でのグレーゾーンは、具体的にどういった所にみられるかというと、例えば、衛生面や法律面、事故や虐待など様々な所に見受けられます。
一応、医療的なケアも施す介護施設ですが、職員が私服のまま働くことがOKとされていたり、手洗い義務がゆるかったりすることもあります。
「そういった規制はしっかりとしておくべきではないか?」という発言をすると、「まぁ、家では料理前(食事前)に丁寧に手を洗ったりしないもんね」という返事が返ってきたりします。
再度申し上げますが、「介護施設は家ではありません」
監視カメラはありか?なしか?
プライバシーを守るためにも、利用者の生活空間に監視カメラを設置するのはありかなしか問題ですが、個人的にはありだと思います。
そう思う理由を3つに分けてお話します。
まず1つ目は、プライバシー云々より安全や気づきの方が大事であるからです。
もし、利用者が嫌悪感を抱くようであれば、その人の居室のカメラは撤去したり、その人がトイレなどを使用する際は電源をオフにできる工夫を施したりすればいいわけです。
しかし、その代わりに事故のリスクが上がり、職員が助けられる可能性も下がってしまうことを伝えて、了解を得なくてはなりません。
そういった契約面でのやりとりが手薄なのも1つの問題です。
「介護施設は刑務所でもなければ牢屋でもない、自由に過ごしてもらおう」とどこまでの対応を行うかを曖昧にしたまま入居を契約してしまえば、その後のリスクマネジメントやその人のワガママに対する対応は、介護職員の腕次第となってしまいます。
それでは介護職員の負担は減ることはないでしょう。
我々介護者側のできることできないことを先に決めておき、そのサービス提供範囲での対応に了解を得ての入居をお願いしたいものです。
監視カメラがありだと思う理由の2つ目は、監視カメラなしにしてもプライバシーが保護されているとは限らないからです。
職員は利用者の安全を守るために、居室内やトイレを小窓からのぞいたり、散歩されている方を隠れて追いかけたり、
「時間がない」と業務に追われる職員になると、ノックもせずに勝手に入って下着の中を確認するような行為をしてしまいます。
そんなことをされるぐらいだったら、カメラを設置して心置きなく1人でトイレがしたいという人もおられるかと思います。
監視カメラがありだと思う最後の理由は、職員に第三者の目を与えられるからです。
介護職員は利用者を支援するにあたって、夜勤などで1対1になることもあります。
そういった際に、自分の対応方法に第三者からの視線がなくなることで、いい加減な対応が許されてしまったり、虐待や身体拘束につながってしまう恐れもあります。
自分の対応方法に第三者からの視線を与える意味でも、自分自身で自分の対応を観察するためにも、監視カメラはあってもいいかと思います。
まぁ、今回の記事で伝えたいことは、監視カメラがありかなしかという問題より、「家庭的な介護」という曖昧なサービス提供をやめて、必要となる規制は作りましょう。というお話です。
退職者は裏切り者
これは他の業界にもある雰囲気なのかもしれませんが、「家庭的な介護」に重きを置く介護施設にとって、退職者は裏切り者です。
人手不足の中、退職を申し出ると「周りに迷惑をかけるんじゃない」
他に行きたい所ができたことを伝えると「私たちを見捨てるっていうの?」
という返事が返ってきたりします。
もう、まるで家族のようですね。(笑)
冒頭から一貫して伝えたいことは、「介護施設は家ではない」ということです。
職員にとっては会社であり、お金を稼ぐ場所です。
もっというと、生活をするために仕方なく通っている場所であるといっても過言ではありません。
自分の生活の質を上げるために、今より給料が良いという理由だけで転職を行ったとしても、不純な動機ではありません。
逆にいえば、お金を稼ぐ場所で「家のように」過ごすのは褒められたものではないでしょう。
介護施設は仲良しこよしするために集まる建物ではなく、人が人生最後に安全かつ安心して過ごせる環境を提供する場です。
本当の裏切り者
もし、現在勤める介護施設で働くことに嫌気がさしているのに、転職を踏みとどまってしまっている人がいるとしたら、本当の裏切り者は誰かを確認しておきましょう。
自分の感情や欲求を動機にして退職を申し出る人は裏切り者なのでしょうか?
それは違うというお話をしましたよね。
では、本当の裏切り者は誰なのかというと、自分の気持ちとは裏腹に、嘘偽りの感情を持って接しているあなたです。
つまり、本当はやめたいし次に行きたいのに、自分の感情や欲求を押し殺して現状維持をしてしまい、ストレスを溜めて、自分自身にも他人のためにもならないような生き方をしてしまう方がよっぽどの裏切り行為なのです。
まとめ
いかがだったでしょうか。「家庭的な介護」の落とし穴。~介護施設は家ではない。というテーマでお話させて頂きました。
何度も言いますが、どう頑張っても「介護施設は家ではない」です。
「家のような」環境作りに励み、安心感を与えることに努力するのは良いことでしょう。
しかし、職員が「家のように」過ごしてしまうと、話は変わってきてしまいます。
仲良くすることを否定するわけではありませんが、介護者側の専門性が低いが故におざなりな介護で利用者の生活や心身の状態に悪影響が出てしまうようでは、いくら低賃金といえど給料泥棒といえるのではないでしょうか。
本当により良いワークライフバランスを目指すのであれば、仕事と家庭を混合させず、うまく切り替えていく必要があるかと思います。
閲覧ありがとうございました。