介護学×心理学ブログ

低賃金、人手不足、3K、何かと問題ばかり抱える介護業界。なぜ、介護の分野は成長していかないのか?それは専門性が低いからであり、あったとしても感情的・根性論が多いのが現状。介護の専門性とは何か?どうすれば向上していくのか?介護の本質を知らない、あるいは興味がない経営者に代わって、論理的に解説するブログ。

自己犠牲しがちな優しい介護士さんが、本当にするべきこと。

 

  優しい介護士さんへ。

いつもいつも周囲の人に気を遣い、何かと自分自身を犠牲にして疲れはしないでしょうか?

 

「でも、それが人のためになるから」

 

本当にそうでしょうか?

 

 【目次】

 

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その「ちょっとした無理」が当たり前になる

 

 自分を犠牲にしてまで、他人を助ける行為は美しいことのようにみえますが、そんなことはありません。

中には、他人に気を遣って生きてきたせいで、自己犠牲そのものを美徳としてしまっているお人好しの方もいます。

 

 その自己犠牲となる、他人のためにする「ちょっとした無理」はいずれ当たり前になります。

つまり、自分は他人のためにしていることが、周囲から見たら当たり前の光景になっていくのです。

自分からしたら「やってあげている」のに、他人からしたら「やって当たり前」という状態に陥ります。

これでは身がもたないでしょう。

 

 

「じゃあどうすればいいんだ」「自己中は嫌われるじゃないか」と思われるかもしれませんが、

そもそも、人のためにする行為が自分を犠牲にしないとできないという思い込みが間違っているのです。 

自分にとって辛くない範囲で、他人のためになる行為はあると思います。

 

そのためにも、まずは「ちょっとした無理」を減らしていかなくてはなりません。

 

かといって、要求を断るのが苦手な優しい介護士さん、自分を犠牲にしてしまわないようにするは、どうするべきか?

そして、本当に相手のためになる行為が何なのかを考えていきたいと思います。

 

 

ちゃんと交渉しよう

 

 もし、要求を断ること自体が難しかったら、自分も相手に要求して交渉に出ましょう。

 

自分が利用される分、自分も相手を利用してもいいはずです。 

相手が自分を利用する権利があるのなら、自分にも相手を利用する権利があるからです。

 

おそらく、優しい介護士さんは、他者との睨み合う関係が大の苦手です。

もしくは、他者のために「ちょっとした無理」をしてあげることに喜びを感じてしまうドМ他人指向型なのでしょう。

そうだとすれば、他人のためになる行為をどんどん行い、人に利用され続けてしまうのがオチです。

自分が相手の要求を引き受けてしまうなら、自分も相手に前向きに要求をするようにしてみましょう。

 

「それはしたくない」といちいち反発するのが嫌なら、お互い様の関係」を作る方が得策かと思います。

 

 

自分の限界点を知る

 

 断るのが苦手な人の多くに、自分の限界点を知らない人がいます。

 

自分がどこまでできるかという実行可能性を把握していないのです。

それで、多くの要求を引き受けてしまい、いっぱいいっぱいになってしまうのです。

 

「自分はここまではできるけど、これ以上は無理」と把握することができていれば、さすがに断ることができるかと思います。

引き受けてしまえば、今するべきことまでできなくなってしまうからです。

 

 

「自分の限界点を作る」というと曖昧になってしまうなら、「譲れない何かを持つ」ようにしてもいいです。

 

 例えば、私の場合は、業務時間外に何かを要求されるのを嫌います。

自分の時間を確保したいからです。

 

すると、私の譲れないものは、「自分の時間」です。

体力には自信があるため、業務時間中は好き勝手使ってもらっても構いません。

 

業務時間内で終わることならほとんどのことを引き受けますが、業務時間外に影響が出る頼み事には、たとえ相手が上司であろうと断るか交渉に出るようにしています。

何かを要求された時、「これは、自分の時間を奪われるものではないだろうか?」というベースラインを作っておくことで判断がしやすくなります。

 

 

本当に、「相手のためになる行為」とは何か?

 

 何度も言いますが、あなたの「ちょっとした無理」ではありません。

 

 例えば、介護現場を例にすると、業務内容にはないケアやサービスを、あなたが「ちょっとした無理」をして利用者に提供したとします。

すると、当然利用者の方は喜んでくれますが、先ほども言ったようにしてもらって当たり前になっていきます。

 

そして、あなたが出勤していない時間帯になると、利用者は不満になってしまうようです。

これが、特定の職員にだけ心を許す利用者という、よくある光景になってしまうのです。

 

つまり、本当にその人のためになる行為は、あなたの「ちょっとした無理」ではなく、いつでも安定して良いケアを受けることのはずです。

 

かといって、利用者が喜ぶことをやめてしまうことも気が引けるでしょう。

本当にその人のためを思うなら、介護士がするべきこととしては、その行為を負担なく提供できる仕組みを作ることかと思います。

 

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おわりに

 

 いかがだったでしょうか。

自己犠牲しがちな優しい介護士さんが、本当にするべきこと。というテーマでお話しさせて頂きました。

 

 私自身も経験があるのですが、その利用者さんのためを思って、業務内容にはないケアを施す努力をしていました。

その瞬間は喜んで下さって、自己満足していたのですが、どうやら普段のケアに満足できなくなっていくようです。

これが、「ちょっとした無理」が当たり前になる瞬間です。

 

そして、あろうことか私は、その「ちょっとした無理」をすれば利用者が喜んでくれるのだからやらない方が悪いと、他職員を責めるようになっていました。

しかし、普通に考えて、逸脱しているのは私です。

 

あくまで、介護現場はチームで動いています。

これは良いことだとは思いませんが、個人的な努力が良い結果を生むことは少ないです。

利用者に安定して良いケアを受けてもらうためにも、チーム全員が提供できるケアをしていかなくてはなりません。

その仕組み作りを行うことが、その人にとって最も求められることかと思います。

 

 

 今回の記事で一貫して伝えたいことは、相手のためになる行為をすることが全てではないということです。

自分たちにできることで、その人のためになるような行為を見つけましょう。

その仕組み作りをすることができれば、誰も犠牲になることのないWin-Winな関係作りができると思います。

 

介護士に求められるのは、意識の高さではなく全体性のある視野の広さかもしれません。

 

閲覧ありがとうございました。