「本当に親切な介護士」になるための考え方と行動
介護の仕事をしているだけで親切な人間だよ。と思われるかもしれませんが、そんなことはありません。
中には親切ではない人もいる。という意味ではなく、ただ優しければ良いというものでもないということです。
今回は、「本当に親切な介護士」になるための考え方と行動というテーマでお話していきます。
「本当に親切な介護士」とは、他人に対して優しくすることは大前提として、自分自身への思いやりも忘れません。
人助けすることが、直接的に自分を犠牲にする行為だという考えがそもそもの間違いで、誰もがその恩恵を得られる形で優しさや思いやりのある行為ができる人こそ「本当に親切な人」だと言えるのです。
つまり、無理して行う親切はいつか爆発する可能性があり、自分に対する思いやりも忘れない人は安定して優しくふるまえるのです。
「優しい人間でありたいけど消耗はしたくない」人や、「利用者の方にとって本当に効果のある親切を行いたい」介護士の方は、ぜひ参考にして下さいませ。
【目次】
「本当に親切な介護士」になるための考え方と行動
それでは、始めていきましょう。
まずは、親切な介護士になるために重要な考え方をお話して、次に2種類の行動計画を提案してみます。
そして、最後に「本当に親切な介護士」について考えてみましょう。
ただ毎日の業務を積み重ねて「オムツ交換のプロ」になるか、いい加減な仕事をして「腰痛持ち職員」なんかになるのではなく、人間的な部分で成長することを意識してみる機会を作りましょう。
もちろん、オムツ交換もそうですが、介護の仕事で身に付いたスキルはどこに行っても活かすことができるはずです。
何より、人間関係のスキルは必要不可欠だと言えるでしょう。
親切な介護士は損をするのか?
まずは、「本当に親切な介護士」になるための考え方です。
親切すぎる、つまりは他人に優しくしすぎるのは損をするのではないか?というお話です。
実は、親切な行為をすることで自分の心に余裕が生まれるという事実があります。
あなたは、自分の心に余裕を保つことができないことがないでしょうか?
よく現代人が抱える悩みである、忙しすぎて「時間がない」という感覚がその典型例です。
「あれもこれもやりたいのに時間が足りない」「やるべきことや仕事が増える一方で自由な時間がとれない」と、多忙と不自由さを感じる毎日のことです。
介護職員の方なら、一度は経験したことがあると思います。
業務がいっぱいいっぱいで時間に追われる感覚に陥り、いくら自分が焦っても利用者の方のペースは変わらず、むしろ焦りの感情から声かけや介助がいい加減になってしまい余計に時間がかかってしまうのです。
「時間がない」という感覚は、単なるストレスになるというだけではなく、自分自身のパフォーマンスの低下に繋がるため悪循環に陥ってしまうのです。
そういう時ほど、自分のためになる行動をとりたいところですが、他人のために何か親切な行為をすることで自分の心に余裕が生まれるという事実があります。
ペンシルベニア大学ウォートン・スクール校で検証された、「時間がない」感覚を和らげる実験をご紹介します。
研究者たちは、参加者に思いがけないご褒美として自由な時間を与えました。
そして、参加者を2つのグループに分け、「好きなように過ごして下さい」と指示したグループ、「その時間を誰かの手助けに使ってください」と指示したグループに分けます。
すると、その後のアンケートで「時間がない」感覚が和らいでいたのは後者のグループだったという結果が出たそうです。
しかも、自分自身のことを「能力がある」と評価したそうです。
他人を助ける行為を行うことによって、自分勝手に行動するより心に余裕が生まれ、自尊心も向上したということが言えるわけですね。
それなのに、現代人は「誰も私のことを気にかけてくれない」と利己的になり、自分のためだけに行動するようになっていってしまっているのです。
自分に余裕がない時ほど、誰かのためになる行為をして、心に余裕と自尊心を取り戻さなくてはなりません。
例えば、自然災害やテロ事件によって苦しんだ人々ほど、他人を助けようとする気持ちが強まることが、心理学教授のアーヴィン・シュタウプの研究によって証明されています。
本当に辛い時は、孤独になるより誰かと繋がっていたい、何か役に立ちたいと思えるみたいですし、その効果はてきめんだということが言えるでしょう。
これらは、ストレスを対策するために勉強しようと思って、スタンフォードのストレスを力に変える教科書 (だいわ文庫)という本を読んで学んだことなのですが、他にも親切をすることで自分のストレスが解消される様々な研究結果が紹介されていました。
おそらく、親切な行為をしている自分を自覚した時、「自分ってこんな良いやつなんだ」「なんだ、優しくできる余裕が自分の心にはまだあったんだ」と錯覚のように認知するのだと思います。
それを裏付ける根拠として、「認知的不協和」という心理学用語があります。
「認知的不協和」とは、人間が自分自身に対して矛盾した認知が芽生えた時に生じる不快感のことです。
ここで言うなら、「ストレスを抱えて余裕のない自分」と「他人のために行動してあげた余裕のある自分」となります。
そして、この2つの矛盾した認知を人間は無意識にも不快感を感じてしまうため、自分にとって都合の悪い方の認知を変えようと「認知的不協和」の解消が行われると考えられているわけです。
つまり、ストレスに苛まれる中、「自分は余裕のない人間だから」と認識し続けて利己的な行動ばかりとるよりも、他人に親切をすることで「実は自分は心の器に余裕のある人間なんだ」という認識に変えていった方が効果があるということです。
かといって、他人のことばかり気にかけていれば、さすがに消耗するか誰かに利用されるのでは?と思ってしまうでしょう。
そこで、冒頭で話したように、自分に対する思いやりも忘れてはなりません。
そのための行動計画と根拠をお話していきます。
親切は早い者勝ち
人は、何かしらの恩恵を受けると、その人にお返しをしなければならない心理が働きます。
これを「返報性の原理」というのですが、誰しも一度は経験があるかと思います。
別に頼んでもいないのに何かプレゼントをもらったりすると、自分も似たような形でお返ししなければならないという思い込みのことです。
しかも、恐ろしいことに、もらったものよりも価値の低いものをお返しすることに罪悪感を感じてしまいます。
例えば、もうすぐバレンタインデーですが、女性からチョコレートをもらったとしましょう。
それが、手作りであれば感覚的な問題になってきますが、金額のわかるチョコだったとします。
すると、男性の側は、罪悪感とプライドが邪魔をして、もらったもの以上の金額や価値のあるチョコでお返しすることになってしまいます。
つまり、誰かに何かを与える行為は、先に与えた方が得をするということです。
そのため、親切な行為も、相手が求めるよりも先に与えることを意識してみましょう。
毎日変わらない日常や繰り返しの業務を送る介護士なら、利用者がどのような訴えをするか把握できていると思います。
自分がここに居てもいいのか不安になってしまう人には、「今日は私とお泊りです。担当の◯◯です。よろしくお願いします」と先に挨拶でもして信頼を売り、安心してもらえるような試みに出てみましょう。
そもそも施設に泊まることが嫌な帰宅願望のある方には、施設にいると良いことがあるという意識付けのためにも、何らかの施しを与えてみましょう。(おいしい飲み物を出すとか)
的外れでもいいので、”先に”与えることが重要です。
お願いされてから動いているようでは、ただ頼み事を聞いているだけの都合の良いやつになってしまいます。
お返しがあったらラッキーくらいのゲーム感覚で、先に何か親切をする癖をつけておくと良いと思います。
そして、「返報性の原理」の怖いところは、与えるものが的外れでも効果があるところです。
バレンタインデーで、甘いものが嫌いな自分に好きでもない子からチョコレートをもらったとしても、「何か返さなくては」となってしまうように、
自分が欲しくないものでも「自分が何かをしてもらった」という感覚に陥りさえすれば「返報性の原理」が働くのです。
ここで重要なのは、その人が「何かをしてもらった」と厚意を感じることです。
チョコレートをあげたから、親切なことをしてあげたから、いいというものではなくて、そういった行為をしてあげたい気持ちがありますよ。ということが伝わらなくてはなりません。
相手が家に帰りたくて怒っているのに、「これあげるから落ち着け!」とおいしいものを出したって無駄です。
いくら認知症高齢者の方でも(人にもよりますが)、自分が騙されていることぐらい察知できてしまいます。
「私はあなたを支援するためにここにいる。それなのに家に帰りたいなんて悲しい。何か不満があれば聴きます。まずはお茶でも飲んでゆっくり思いを聴かせて下さい」という姿勢を示す必要があります。
見返りを求めて行動するようでは、「本当に親切な介護士」とは言えないでしょう。
親切な行為とは、文字通り、その人のためになる行為をする行いのことです。
それが伝わって初めて、本当の見返りが期待できますでしょう。
そして、その見返りをもらうことに厭わないこともまた重要です。
与えるばかりが親切ではない。
ここまでで、親切することのメリットとそのやり方までをご紹介しましたが、普段から介護現場で奮闘する職員の方はこう思われるかもしれません。
「いや、親切なことのし通しだよ」「何も見返りなんてもらってない」
そうなってしまう原因は、親切な行為をしてあげることが当たり前化してしまっているように思えます。
つまり、相手からしたら「やってもらって当たり前」、自分からしたら「やってあげないと罪悪感を感じる」ほどになってしまっているのです。
これでは、親切な行為というよりは、義務を果たしているだけで、お願い事をきくというただの作業です。
そこで、意外な視点から親切を行ってみましょう。
相手に親切をしてもらうという考え方です。
先ほどとは逆の立場に立って、「あなたは私のために居てくれている」「私はあなたが居てくれないと困る」ということを伝えてみましょう。
なぜなら、今回お話したように、親切はした方にこそメリットがあるからです。
昔は当たり前にできていた日常生活動作ができなくなって、無力感を感じる利用者の方に貢献感や自尊心を持たせることも、1つの、いや何よりの親切です。
特に子供を育ててきた女性の方は、人を世話焼く行為が好きな人もいます。
嘘でもいいです、介護者の演技でもいいです、その人が「まだ誰かの役に立てるんだ」という気持ちになれることが重要です。
もしその状態を作り出すことができたら、自立支援にもつながるかと思います。
そして、不思議なことに、「人は、誰かの頼みごとを聞くと、その人を好きになりやすい」(引用元:CAPTIVATE 最強の人間関係術) ということがわかっています。
これは、「フランクリン効果」といって、自分がわざわざ助けてあげた相手のことを好きになる現象のことです。
普通なら、頼み事を聞いてもらった側、助けてもらった方の人が感謝や好意を抱くように思えますが、実はしてあげた方の人間の方が好意を抱くようです。
これも、「認知的不協和」の解消につながってくるのだと思うのですが、「自分がわざわざ助けてあげた相手だ。自分はきっとこの人のことが好きなんだろう」という気にでもなるのでしょうか?
何にせよ、親切な行為はした方にメリットがあるため、それを逆に発想して、親切してもらうこともまた親切なのではないでしょうか?
さいごに、「本当に親切な介護士」とは?
今回の記事の結論としては、「本当に親切な介護士」とは、先に自分から与えること、自分も相手に助けてもらうこと、を厭わない助け合いの精神を持てる人のことだということです。
相手に存在意義を感じさせ、お互いに自分の価値を見出すことのできる人。ということもできるでしょう。
つまり、優しくしすぎて自己犠牲に陥ってしまう人は、相手に頼ることができていないということです。
当たり前ですが、人間関係におけるコミュニケーションは相互のやりとり、キャッチボールで成り立ちます。
自分の思いやりや親切な行為も、与えるばかりの一方通行ではうまくいくはずがありません。
自分が与えてばかりの人は、文字通り立場が上に位置してしまっています。
だから、周りの人から違う存在だと扱われ、「あの人はそういう人だ」と当たり前化してしまうのです。
自分もみんなと同じで、弱く助けが必要な人間なんだということを知ってもらいましょう。
親切のしすぎで疲弊している人は実際にその通りであるはずです。
「本当に親切な介護士」になりたければ、親切をすることにもされることにも抵抗感を抱くのはやめにしましょう。
話が長くなってしまいましたが、最後までお読みいただき、ありがとうございました。
【参考文献】