介護学×心理学ブログ

低賃金、人手不足、3K、何かと問題ばかり抱える介護業界。なぜ、介護の分野は成長していかないのか?それは専門性が低いからであり、あったとしても感情的・根性論が多いのが現状。介護の専門性とは何か?どうすれば向上していくのか?介護の本質を知らない、あるいは興味がない経営者に代わって、論理的に解説するブログ。

介護現場の機械化するべきかどうか問題の3選。~人間に残る仕事とは?

 

 あなたの介護施設では機械化は進んでいますか?

 

どんどんとテクノロジーが進歩していく中、変化に弱い介護現場は未だに紙文化(手書きの記録等)から抜け出せず、実際の介助から薬の管理という大事なことまでヒューマンエラーが目立つ施設が多いのではないでしょうか?

 

今回は、そんな介護現場での機械化するべきことと人間に残る仕事とは何なのかを考察していきたいと思います。

 

実際の介護現場を知る我々職員が、本当に必要とし求めていることを浮き彫りにしましょう。

 

お付き合い下さいませ。

 

【目次】

 

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介護現場で機械化するべきことと人間に残る仕事とは?

 

 それでは、介護現場で機械化するべきことと人間に残る仕事とは何なのかについての議論を始めましょう。

 

といっても、ここでは一方的に文章を書くだけなので議論ではなくただの考察になりますが。

 

今回の記事を読んでも全く参考にならないという人もいらっしゃるかもしれませんが、考えるきっかけ作りにだけでもなれれば幸いです。

 

とかく、介護現場は変化に弱い上、改革をもたらす権力を持っている地位の人間たちは介護現場の中身に興味がないという状態にあります

 

実際の介護現場がどんな状態なのかを知っている、または悩みを持っている我々職員たちが頭を使わないと、本当に良き変化をもたらすことはできないと個人的には思っています。

 

考えるだけでは何も変わらないかもしれませんが、国や会社に頼っても的外れな改革を起こさせるだけです。

 

とりあえず今回は、本当に必要なことは何なのかを考える機会にしましょう。

 

それでは、始めます。

 

 

全自動運転

 

 まずは、最も一般的な機械化について考察していきたいと思います。

 

先に言っておきますが、実際に今叶えられる機械化かどうかではなく、世の中で機械化すべきかどうかで議論されている問題についての考察です。

 

そして、「全自動運転」ができるのだとしたら、答えはYESでしょう。

 

 「全自動運転」とは、現在人が行っている介助行為を機械に自動にしてもらうことを言っています。

 

よく、機械やロボットに介助をしてほしくないという意見を耳にしますが、本当にそうでしょうか?

 

実際に毎日丁寧な介助を行っている介護職員の方も、この意見に賛成という方がいらっしゃるかもしれません。

 

しかし残念ながら、そういった方には矛盾した事実があります。

 

あなたが毎日使っているシャワーや水道、人によっては電動歯ブラシもウォシュレットも機械です。

 

つまり、すでに我々は生活の中に(それもデリケートなところまで)、ロボットを導入しているのです。

 

しかし、いざオムツ交換をロボットがしてくれるとなった時、「私はそんなの嫌だよ~」などといって拒みます。

 

これは完全に、現状から変化することを嫌う人間の特性によるものです。

 

 

それでも、「機械より人にしてもらった方が思いやりやぬくもりが伝わって良い」という意見の方もおられます。

 

そういう機械嫌いの人の意見を定義し直すと、「自分の意思に反して強制的にされるのが嫌」だということが言えると思います。

 

介助の度に、つまり自分が排泄を行う度に、誰かの思いやりやぬくもりを感じたいという性癖のある方ではない限り、別にトイレの瞬間くらい機械に処理してもらいましょうよ。

 

もし、これまでの人生ではトイレの度に好感の持てる人と手をつないでいたという人の場合は別ですが、人の思いやりやぬくもりは排泄以外のタイミングで感じましょう

 

むしろ、現状の人手不足の中では排泄介助に追われてゆっくりとしたコミュニケーションがとれず、作業的なお粗末なケアかひどいと虐待につながっていくリスクの方が高いでしょう。

 

 

 今回は、排泄介助に的を絞って話しましたが、移乗介助やその他の介助でも同じようなことが言えると思います。

 

どんな機械でもそうですが、自分たちの手足の代わりとなって、人間の負担を減らし望んだ結果のために動いてくれる便利なのものが機械というものです。

 

つまりは、使い方が重要だということがいえるでしょう。

 

 

AI

 

 全自動運転の次によく聞く話、介護現場に導入される可能性が高い機械、「AI」についてです。

 

人工知能がケアプランを作ってくれるそうですね、大いに結構なことじゃないかと思います。

 

人間の負担はどんどんと減らしていきましょう。

 

「AI」についても、導入は賛成です。

 

 しかし、全てを任せきるなんてことはできず、人が介入してあげなくてはならない面もあるかと思います。

 

なぜなら、先ほど話したように、機械で人の人生を豊かにすることはできます。が、人は人生を機械的に生きることはできないからです。

 

ケアプランとは、利用者に施すケア、または提供するサービスの計画書です。

 

言い換えると、その人が人生最期に生きる環境を作るための計画書です。

 

それを「AI」が機械的に合理的に判断して、最も健康的で寿命が延びるような最適な生活スタイルを確立させるような、科学的な要素はこれからの時代に重要なポイントの1つではありますが、

時には、暴飲暴食をするなど、(文字通りではなく比喩的な意味で)転ぶような出来事があった方が、刺激があって良いのではないでしょうか?(※これは個人的な価値観)

 

 

 実際に「AI」にケアプランを作らせるところまではいいですが、全てを任せきってしまっていいのでしょうか?

 

もちろん、世の中の人もそんなつもりはないかと思いますが、表情から分析して人の感情を読み取ることができるAIも生み出されるようです。

 

人間も100%汲み取ることは不可能ですが、ケアプランに従うだけ(AIに踊らされるだけ)では、文字通り人と人との関係がなくなってしまうのではないでしょうか?

 

「AI」に仕事を奪われる時代はもうすぐやってきますが、誰かと関わり繋がっている感覚を最期の瞬間まで保ってあげた方が良いことは確実です。

 

人間に残された役割としては、時には非合理的かつ感情的な関わりをしてあげることかなと思います。

 

介護職員が個人的な価値観でその人の人生を左右させて良いとはいいませんが、「その人のためにしてあげたいこと」は表現していいと思いますし、その人自身も嬉しいでしょう。

 

 

管理システム

 

 誤薬、見守り不足による行方不明、そろそろヒューマンエラーによるミス(事故)はなくしたいものです。

 

現場にいる職員たちは疲弊しています。

 

ただでさえ業務をこなすので手一杯なのに、毎日の薬の管理や利用者の状態に注意を払い、上層部からは質の向上や余計な仕事をこなすよう求められることだってあります。

 

文字通り、「これ以上は限界」という状態です。

 

そんな疲れている状態では、以前より些細なミスから大きな事故が起きてしまってもおかしくはありません。

 

 その問題を解消していくためには、職員に余裕を取り戻さなくてはなりません。

 

職員の心と体に余裕を作り仕事の質を向上させていくためにも、今までは避けがちであった管理システムの全てを機械に任せてしまいましょう。

 

何が言いたいかというと、監視カメラ」GPSの設置をしてもいいんじゃないかという主張です。

 

どちらもその人のプライバシーを侵害してしまうために行われていないことですが、プライバシーの保護よりもその人の身の安全と心の平安を保護してあげる方が重要だと思います。

 

心に余裕のない状態の職員は、身体拘束に近いような声かけ(スピーチロック)や見守り(監視)を行ってしまいがちです。

 

業務が終わらず焦りの感情からイライラして、急に居室に入りパンツの中を覗いてしまっていることだってあります。

 

これでは、「プライバシーの保護(笑)」です。

 

 

 全自動運転で介助や業務の量を減らし、AIに合理的にケアプランを作ってもらって、人間が行う必要のない管理の全てを機械に任せて、人間の負担を減らしていきましょう。

 

そうして残った仕事が、人間が行うべきことです。

 

では、人間に残る仕事は何になるのでしょうか?

 

 

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本質を見極めよう

 

  機械化に嫌悪感を抱く人は、変化した後のことを想像する力が乏しいように思います。

 

もちろん、予想通りに事が運べるわけもなく、全てがうまくいくとも限りません。

 

しかし、現状に不満があるのなら、変化していくことを厭わない姿勢でいることが重要です。

 

そして、機械によって人手不足による問題や、些細な手間から大きな負担までもが解消されることで、本質が浮き彫りになるかと思います。

 

そうして浮き彫りになった本質こそが我々人間に残る仕事です。

 

 

 人間に残る仕事とは、高齢者が自分の人生を主人公として生きるために、他者との関係性を感じる関わりをしてあげることです。

 

これからの時代、介護士は、単なる肉体的な介助者からその人の人生における精神的な支援者へと変化していく必要があると思います。

 

正直、職員の中でも差が生まれにくく機械に奪われる可能性の高い、肉体的な介助スキルなんかはそこまで重要ではないと感じます。

 

それよりかは、「その人のために何かしてあげたい」という思いから生まれる気づきやアイデアの方が遥かに価値があるはずです。

 

そういった思いやりや優しさ、創造性は我々人間にしかできないことです。

 

 

 昔、身体拘束や虐待行為に対する意識が低く、制度なんかも緩かった時代、移乗介助は乱雑で声かけもなく、排泄や入浴介助は「作業」そのものであり、食事や口腔ケアもただ早く終わらせる目的のために利用者の方を1列に並べて次々と無理やり行っていたというのは事実です。

 

そんな悪夢をまた繰り返しますか?

 

現状のままではいけないことは誰もがわかっています。

 

かといって、全てを機械化させてしまうという画一的なまたは受け身的な考え方でいては、何も改善されず悪夢を繰り返すか、いつまで経っても介護士の専門性ややりがいの向上にはつながりません。

 

そうならないためにも、我々介護士が人として、高齢者と関わり続ける必要がありましょう。

 

それこそが、人間(介護士)に残る仕事であり、アイデンティティです。

 

いつまでも、国や会社、医療や看護の言いなりなんかになるのではなく、介護士にしかできないこともあるんだということを見せつけてやりましょう。

 

閲覧ありがとうございました。