介護学×心理学ブログ

低賃金、人手不足、3K、何かと問題ばかり抱える介護業界。なぜ、介護の分野は成長していかないのか?それは専門性が低いからであり、あったとしても感情的・根性論が多いのが現状。介護の専門性とは何か?どうすれば向上していくのか?介護の本質を知らない、あるいは興味がない経営者に代わって、論理的に解説するブログ。

認知症高齢者の方の人間関係をより良くするために、介護士にできること。

 

 目の前の利用者さんを見た時、「充実した人間関係が構築されてるな」と感じたことはあるでしょうか?

 

おそらく、そう感じたことが少ない介護職員の方が大半だと思います。

 

むしろ、老化による認知の歪みか、望まない状況や状態による性格の歪みのせいか、まともにコミュニケーションをとることすら困難に感じることもあるでしょう。

 

そんな中でも、施設で生活されている利用者の方の人間関係を、より良くする方法をお話します。

 

単なるコミュニケーションの技術ではなく、介護士側の考え方や心理学を応用した方法をご紹介していきます。

 

どうせなら、目の前の利用者の方には笑顔でいてほしいし、不機嫌な人の対応をすることは避けたいはずです。

 

認知症高齢者の方の人間関係をより良くするために、介護士に何ができるでしょうか?

 

【目次】

 

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介護士にできること。

 

 先に言っておきますが、介護士にできること」の範囲でお話します。

 

というのも、最後にまたお話しますが、利用者の生活環境を整えるならまだしも、その人の人生を左右させるような人間関係までもコントロールしようとしてはいけません

 

介護士は、利用者にとって最も影響力のある存在ですが、その人の人生に支配や干渉しようとするのは間違いです。

 

あくまで、「介護士にできること」の範囲で努力していきましょう。

 

逆に言えば、全身全霊をかけて無理する必要はありません。

 

私たちにできる範囲の小さな努力や工夫で、利用者の人生をより良くすることができるのです。

 

今回は、そんなような簡単にできる努力や考え方をお話します。

 

共感できる内容であれば、参考にして下さいませ。

 

 

”お互いに”必要とする。

 

 介護士が、しばしば思い悩むことがあります。

 

「こんなにしてあげてるのに、なんで拒否するの?」

 

この感情を1ミリも感じたことがないという人はほとんどいないと思います。

 

「この人は認知症なんだから仕方ない」と頭でわかっていても、自分に言い聞かせていたとしても、ネガティブな感情になった時、この感情を抱いてしまいます。

 

そこで、逆の立場に立って考えてみましょう。

 

わざわざ自分が認知症であることを想像したりする必要はありません。

 

自分に対して赤の他人が、至れり尽くせりなお世話をしてくれるという事実にだけ焦点を当ててみましょう。

 

おそらく、罪悪感や恥じらい、劣等感などを感じてもおかしくはありません

 

さすがに、「あ、この人がお世話してくれるなら、全部任せよう。私は言うことを聞いていればいいだけ」とはならないでしょう。

 

どんな人間関係もコミュニケーションも、一方通行では成り立たないのです。

 

 

 そして、誰かのために親切な行為をするというのは、してもらった時よりしてあげた時の方が気持ちが良いものです。

 

それは、心理学的にもわかっていることで、人は、親切なことをしてもらった時、有難いと思う反面、「何かお返しをしなければいけない」という気持ちに陥ります。

 

『有難い』という漢字が、「私は『有り』『難い』(このままではいけない)と思っている」という、罪悪感を表しているのがいい例です。

 

この「何かお返しをしなければいけない」という感情に陥ることを、心理学では『返報性の原理』というそうです。*1

 

それに加え、誰かに親切な行為をしてあげることで、自分の存在に価値や意味を見出すことができ、心に余裕が生まれるということもわかっています。

 

 

誰かのためにする親切な行為は、感情面でも事実面でも、得をするのはしてあげた側ということが言えるでしょう。

  

これらを加味すれば、介護士が利用者に対して一方的に優しくするのは、罪悪感や劣等感を感じさせてしまうため、好ましくない支援だと言えるでしょう。

 

嘘でもいいから、たまには助けてもらったり教えを乞うて、「あなたを必要としている」ことを伝えましょう。

 

たまには、頼りがいのある存在だけでなく、バカなフリができる介護士でいましょう。

 

しかし、相手が人生の大先輩だからといって、神のような特別な扱いをする必要はありません。

 

 

「人として関わる」とは、こういうことだ。

 

 80歳を超えるような長生きしている人が、20~50歳のような若者に赤子扱いされたら腹が立つ気持ちは誰だってわかることでしょう。

 

赤子扱いでなくとも、自分の老化による衰えや認知の歪みを感じさせられたら、誰だって落ち込んでしまいます。

 

そして、そんなご高齢者を支えるプロである私たちは、認知症だから何を言っても無駄」といった一言で片づけることは許されません。

 

認知症ケアにおいて、「”認知症”の人として関わる」のではなく、認知症の”人”として関わる」ことを意識しようと何度啓発されたことでしょうか。

 

しかし、これには、私なりに疑問に思うことがあります。

 

本当にその人により良いケアを施したいのであれば、認知症である事実を弱める必要はないのではないか?ということです。

 

そして、我々介護士が専門性を保つためには、認知症に関する知識を持っておかなくてはいけません。

 

そのため、その人が認知症である事実を、むしろ積極的に意識して、どこに障害が生まれているのかを観察するのがプロの仕事だと思います。

 

わざわざどちらを強調するのかという議論をせず、認知症の人として関わる」でいいじゃないかと思ってしまいます。

 

また、その人の尊厳を守りたいなら、「◯◯さんと関わる」と個人をさして表現すればいいのです。

 

「人として関わる」とはこういうことだと思います。

 

「◯◯さんと関わる。その人の中には認知症があって、そうではない部分もある。そんな複雑な一体として意識する」でいいじゃありませんか。

 

 

ただ話を傾聴するだけなんて、もったいない!

 

 認知症ケアにおいて、どんな人間関係においてでも、コミュニケーションで『傾聴』は大事なことだと言われています。

 

確かに、人は自分の話を聴いてもらうのが好きです。

 

どれぐらい好きかというと、ご馳走やお金を与えられるよりも強い刺激が脳の快楽中枢に与えられるほどということが、神経科学者によって明らかにされています。

 

この事実を知らないにしても、介護士は、利用者の方の5分置きに繰り返される話に付き合い、傾聴に努めます。

 

しかし、忙しい中ただ傾聴するだけではもったいないです。

 

”興味を持って”傾聴しましょう。

 

というのも、その人がよく口にする話題から、その人の人間性や好みを把握することができるからです。

 

心理学用語で、『フラッシュバルブ記憶』という言葉があります。*2

 

これは、「感情に強く結びついた出来事ほど、鮮明に思い出せる」という意味の言葉です。

 

例えば、学生の頃に必死で暗記したテスト勉強はすっかり忘れているのに、自分がしてしまった恥ずかしかった体験など、ちょっとした出来事なのに鮮明に思い出せるのがそれです。

 

利用者の方の話を聴いていると、「戦時中の出来事」「子供を育てた苦労」「自分が一番輝いていた頃の思い出」なんかを話されますが、認知症であるが故にうっとうっとうしいくらいに繰り返し話されるでしょう。

 

反対に言えば、認知症で記憶力が低下しているはずなのに、よくそこまで鮮明に思い出せるなということもあります。

 

つまり、それはその人にとって重要な出来事なのです。

 

もし、「主婦をしてきた苦労話」を聴かされたら、主人に仕えてきたため後は自分本位になりたいという欲求かもしれませんし、子供を育てることにやりがいを感じる母性溢れる人かもしれません。

 

「仕事で部下を従わせて大きなことを成し遂げた」という武勇伝を聴かされたら、何か役割を与えてみて、従順な介護者を演じるのも一興かもしれません。(その人が調子に乗らない程度で)

 

 

『傾聴』の最も大事で効果的だと思うところは、自分ではなく相手側のニーズに重きを置くことです。

 

介護士としてどうするべきか」よりも、「その人がどうしてほしいのか」を探る必要があります。

 

「どうするべきか」を考えてしまえば、いつまで経っても答えには辿り着けないでしょう。人間関係に正解はありませんから。

 

しかし、「どうしてほしいのか」 に焦点を当てれば、ある程度のレベルで答えを導き出せます。最も大事な、「その人が喜ぶ」ことが達成されるのですから。

 

そういう意味では、認知症高齢者の方が相手であっても、普通の人間関係力が必要なのです。

   

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利用者にとって、最も大事な人間関係とは?

 

 最後に、利用者にとって最も大事な人間関係とは何か?ということについて考えてみましょう。

 

今回の記事では、職員が利用者に対してどのような関わり方をすると良いのかを話しました。

 

しかし、利用者にとって最も大事な人間関係とは、利用者同士の人間関係であるはずです。

 

私たち介護士は、認知症の方とのコミュニケーションについて改善を試みますが、実際は生活を共にする者同士の関係性の方が重要であるはずでしょう。

 

 

例えば、あなた自身が入院した時、病院にいるお医者さんや看護師さんとの間に「人間関係」という言い方をするでしょうか?

 

おそらく、そんなことはないはずです。

 

医者対患者、治療する側対治療される側、提供者対利用者、という表現の仕方が一般的かと思います。

 

いくら、介護士は利用者の最も身近に寄り添う存在」と言っても、壁を取り払ってしまったら、プロ意識が問われてしまうように思います。

 

介護現場で、最も理想的な人間関係を構築するには、介護士がわざわざ関わりに行かなくても利用者同士で仲良くやってもらうことです。

 

やはり、認知症介護―現場からの見方と関わり学*3の著者、三好春樹さんの「介護の”介”は媒介の”介”だ」という言葉は、本質を見抜かれている名言です。

 

介護士は、主観的な感情で動くのではなく、その人が望む環境のための「媒介者」や「仲介者」であるべきといえるでしょう。

 

よく、ユニットケア方式の施設なんかで、他のユニットまで散歩する利用者の行動を抑制しようとする職員がいますが(他職員に迷惑をかけないためか、単に支配欲が強いのか)、あれは最悪だと思います。

 

もしかしたら、気の合う相手が隣の部屋なんかに見つかるかもしれないのに、それでもしかしたら施設での生活の満足度が上がるかもしれないのに、利用者同士の関係性を邪魔してしまいます。

 

何度でも繰り返し述べたいことですが、「自分がしてあげたいこと」より「相手がしてほしいこと」を行う方が重要です。

 

これは人間関係の基本でしょう。

 

 

レベルの高い介護士を目指すなら、与えることや保護することばかりでなく、介する立場を目指しましょう。

 

閲覧ありがとうございました。

 

【参考文献】