介護学×心理学ブログ

低賃金、人手不足、3K、何かと問題ばかり抱える介護業界。なぜ、介護の分野は成長していかないのか?それは専門性が低いからであり、あったとしても感情的・根性論が多いのが現状。介護の専門性とは何か?どうすれば向上していくのか?介護の本質を知らない、あるいは興味がない経営者に代わって、論理的に解説するブログ。

介護士が、コロナウイルスより恐れるべきものとは?

 

 現在、コロナウイルス蔓延を防ぐため、特に医療従事者といわれる私たちは、厳しい自粛ムードの中にいます。

元々プライベートの時間が少ない介護士や看護師は、追い打ちのようにして自由を奪われているわけです。

そんな中でも、「人のため」「生活のため」と、何かのために感染リスクと戦いながら勤務しています。

 

しかし、中には、「コロナの影響で職を失っている人もいると思うと、自分たちは有難いなぁ」と前向きに出勤する人もいるようです。

また、「いくら人のためになる仕事といえど、自分や家族に対する感染リスクを犠牲にしてまですることではない」という人もいます。

 

人それぞれに違う考え方をお持ちのようですが、世界が「辛い」状況にあることは変わりありません。

 

そこで、どうにもならない問題(未知の感染症に対する完全対策)は置いておいて、自分たちで考えられる範囲についてお話していきたいと思います。

それは、コロナウイルスより恐れるべきものがあるというお話です。

 

 【目次】

 

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コロナはそんなに恐くない?

 

 コロナ、恐いですよね。

 

今までは「風邪を引いたらお医者さん」「怪我をしたらお医者さん」と、万一に備えての行動が用意されていたため、良くも悪くもみんな危機感なく過ごしてきました。

というのも、過去にその対策をしてくれた人たちがいるからです。

そのおかげで、今まで何も考えずに生きてこられたわけですが、新しい状況に陥ると人は混乱してしまいます。

 

間の心理には、答えが出ていないような曖昧な問題に耐えられないという性質があります。

 

だから、「恐い」というより「不安」なんです。

言葉の意味は同じなのですが、言いたいことは、「コロナにかかったら◯◯になる」という明確な心配より、「どうすればいいのかわからない」ことに強いストレスを感じてしまうのだと思います。

 

実際、単なる風邪や怪我から大きな病気につながってしまうことも多くあるはずですが、みんな経験があることと、「お医者さんがいるから」とすがる相手がいるために油断します。

 

そのため、「コロナにかかったら大変なことになるから、できる限りの対策をする」と現実的に行動できるのならいいですが、

「これで本当に大丈夫なんだろうか」「もし、間違ったことをしていたら...」と必要以上に不安になる必要はありません。

 

最後にも話しますが、無駄にストレスを抱えるほど恐怖や不安を感じているのなら、余計に免疫力が低下するようにさえ思えます。

それよりかは、現実的な対策をして適度な緊張感と自信を持ち、今できることをしていった方が自分のためです。

 

それでも、「不安でストレスを感じて仕方ない」と言う人のために、我々より圧倒的にストレスを受けておられる動物をご紹介しましょう。

 

 

我々人間より圧倒的なストレスを受ける動物。

 

  それは、ネズミです。

 

もっと具体的に言うと、実験用サンプルとして使われるネズミです。

 

というのも、「ストレス」という言葉の誕生の経緯に、ネズミ(以下実験用ラット)が関わっているからです。

 

ある日、内分泌学者のハンス・セリエさんが、雌牛の卵巣から摂取したホルモンを実験用ラットに注射してみました。

すると、ラットたちは病気にかかってしまったのですが、セリエさんは「これは本当にホルモンのせいなのか?」と疑問を感じたわけです。

そして、試しに食塩水や他の物を注射してみたところ、ラットたちは同じように病気にかかりました。

セリエさんは、「注射の中身じゃなくて、注射自体が病気の原因か?」と気付いたようです。

「違う種類の苦痛を与えて確かめてやろう」と、一般人からしたらマッドサイエンティストのような発想につながり、極度の暑さや寒さで苦しめたり、休みなしに運動させたり、騒音で驚かせたり、脊髄を切ってみたりもしたそうです。

もちろん、ラットたちは病気になり、死に至りました。

 

セリエさんは、ラットたちに苦痛を与えた行為と、それによって体に表れた反応「ストレス」という言葉で表現しました。

こうやって、「ストレス」という言葉が誕生したと言われています。*1

 

 

そこで質問なのですが、我々人間は、この実験用ラット並みのストレスを受けているでしょうか?

 

急に、自分より数十倍の人間につかまれ、熱い(寒い)部屋に閉じ込められたり、針を刺されたり脊髄を切られたりすることがあるでしょうか?

ブラック企業に勤めている人でも、生活の中で一服する余裕はあると思います。

 

あなたのストレスが「大したことない」とは言いませんが、「これ以上ない不幸」だと思っているとしたら、ネズミさんたちに失礼だということができますでしょう。

  

かといって、死への恐怖や大切な人を失う恐怖はなくせません。

しかし、それが故に人間をダメにしてしまう心理学的理論があります。

 

 

恐怖を感じるとダメになる理論がある。

 

 『恐怖管理理論』という言葉があるのですが、人間は恐怖や脅威を感じると気持ちを落ち着かせるような行動をとるそうです。

 

例えば、コロナによる被害のニュースが毎日流れていますが、そんなネガティブな情報に触れると、手っ取り早く快楽につながるような行動(甘いおやつを食べる、ネットで買い物をする等)をしてしまいやすくなると言われています。

 

この理論があるため、恐怖で不安でしょうがないとしても、ネガティブな情報を仕入れて自分の気持ちまで落ち込ませない方が身のためでしょう。

 

と、言いたいところですが、実はこの『恐怖管理理論』は、『存在脅威管理理論』などとも訳されていて、

「自分の死について考えると、他者に対して寛大になる」という事実もあります。

自分の身を守ってくれる人を作るための計らいなのでしょうか?

死ぬ前にやり残したことを意識するのでしょうか?

 

どちらにせよ、これらの事実を大きな枠にして考えれば、「恐怖に対する準備(自己防衛)をする」ということができるかと思います。

 

実際、心理学の教科書のような参考書などには、「死に対する不安を和らげるために自尊感情を高めること」と定義されていることが多いです。(最初からこの定義で説明すればよかった)

 

恐怖を感じると、自己犠牲的な行動をとるか他者に対して寛大になるか、短期的に気持ちを落ち着かせるか長期的に自尊感情を高めようとするのかは、その人個人の性格特性やその時の状況によって左右されるのだというのが個人的見解です。

 

1つハッキリとわかっていることがあるとすれば、前者は間違った準備後者が好ましい準備だということです。

 

では、このコロナ被害の中、正しい準備とは何でしょうか?

 

何に恐怖を感じるのが正しいのでしょうか?

 

 

コロナより恐れるべきものとは?

 

 それは、日頃の行いです。

 

未知のウイルスよりも自分の行いに恐怖を感じた方が健全です。

「死について考えると、他者に対して寛大になる」とは言いましたが、そこに至るまでは少し利己的だったのだとも言えます。

 

もし、自分が今日か明日にでも死ぬことがわかっていたら何をするでしょうか?

 

愛する家族やお世話になった人に感謝を伝えるか、今まで我慢してきたけど一生のうちにやりたいと思っていたことに手を出すか、

かの有名なスティーブ・ジョブズも、「もし今日が人生最後の日だとしたら、今やろうとしていることは本当にやりたいことだろうか?」と毎朝自分に問いかけていたそうです。

 

つまり、コロナウイルスが流行ってから、日頃の感染対策や清潔の保持、健康管理に意識を向けるのでは遅いのです。

 

もちろん、しないよりはマシですが、コロナによる被害を見るまではずっと平和だと勘違いしていた自分に恐れを抱いてもいいくらいです。

私たちは、コロナウイルスによって、隠れた危険性に気づかされたと言ってもいいでしょう。

 

毎日毎日退屈な業務を繰り返す介護現場でも、利用者様の転倒事故などがあると、「気を抜いていてはいけない、いつこけてもおかしくない人たちなんだ」ということと、

「自宅にいたら簡単に怪我や病気をしてしまう人達を私たちは支えているんだ」ということの2つに気づくことがあると思います。

 

ちなみに、過去にも経験したはずの辛い出来事や楽しかったことを忘れて、隠された危険性や今あるはずの幸せに気づかなくなってしまうことを、心理学では『快楽適応』と言います。

 

人間は、良くも悪くも、幸せにも不幸にも慣れて、通常の感情に戻ってしまうのです。

「もっと幸せになりたい!」という欲求を引き出すため、「もう生きていけない...」というトラウマを乗り越えるためには必要な性質なのかもしれません。

何事にも適応して強く生きていくためには必要な性質なのかもしれませんが、これのせいで同じ失敗を繰り返してしまうわけです。

 

 

 これを、今回の話につなげてまとめますと、

 

コロナウイルスに過剰に恐れる必要はありません

なんせ未知だから、「どうすればいいのか」なんてわからないからです。

 

そこで、今回の件で気づかされた自分の日頃の行いの落ち度を見直して、適度な緊張感を持っていきましょう

「そういえば手洗いが不十分だった」かもしれませんし、「今まで換気を意識したことがなかった」かもしれません。

 

それを直すことができても、コロナブームが去ったらまた忘れる可能性があります。

今感じている恐怖心を忘れるのはいいですが、正しい行いまで忘れてしまってはいけません

 

自分にできる範囲で、やるべきことを、今のうちに当たり前にしておきましょう

自分にできることを一生懸命にやろうとする人は、無駄に悩まなくなるとも言われています。(ローカス・オブ・コントロール)*2

 

コロナに必要以上に恐れる必要はありません、適度なレベルの緊張感を持っていきましょう。

 

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恐怖心より緊張感を持とう。

 

 ここまでで、お伝えしたいことは以上ですが、最後に、面白い引用を入れてお話を強調したいと思います。

 

繰り返しになりますが、未知なものに対して必要以上に恐れる必要はありません。

 

逆に、何も考えずにいるのは危ないことです。

やれるだけのこと、できるだけのことはしておきましょう。

 

そこで、面白い引用ですが、Think clearly 最新の学術研究から導いた、よりよい人生を送るための思考法で紹介されている投資家チャールズ・エリスのテニスプレイヤーへの助言です。*3

ほぼすべてのショットを思い通りに打ち込めるプロのテニスプレーヤーとは違い、アマチュアのプレーヤーは、打ったボールがネットにかかったり、長すぎたり高すぎたり、ショットが入らなかったりと、頻繁にミスをする。

プロのテニスの試合は、アマチュアの試合とはまったく別物である。プロは「ポイントを取って」勝敗を決めるが、アマチュアの場合はどちらが「ポイントを多く失ったか」で勝敗が決まる。

だからあなたが趣味でテニスをするときには、「ミスを避けること」だけに気持ちを集中させればいいのだ。 

 

ひとことで言うと、プロは「勝つ」ことが重要で、アマは「負けない」ことが重要ということですね。

 

これが今回の話に関係あるのかというと、大いに関係あると思います。

 

みんな、「どうすればコロナにかからない?」「もし、コロナにかかったらどうすればいい?」と、ないものねだりになったりわからないことに対して意識を向けすぎたりします。

それで『恐怖管理理論』が発動して不健康なことをしてしまっていたら元も子もありません。

 

私たちがするべきは、今できる範囲での最善の努力です。

 

それは、過ちを正すことに他ならないでしょう。

 

 

人生は、努力した分だけ報われるというわけではないし、その行いが良い結果につながる効果的なものとも限りません。

 

でも、やるしかないです。

 

成功への道のりや本当に正しい行動が何なのかはわかりませんが、間違ったことが何なのかはわかるものです。

 

それを避けましょう。

 

閲覧ありがとうございました。

 

【参考文献】