介護学×心理学ブログ

低賃金、人手不足、3K、何かと問題ばかり抱える介護業界。なぜ、介護の分野は成長していかないのか?それは専門性が低いからであり、あったとしても感情的・根性論が多いのが現状。介護の専門性とは何か?どうすれば向上していくのか?介護の本質を知らない、あるいは興味がない経営者に代わって、論理的に解説するブログ。

認知症ケア大原則。3つのことを意識しよう。

 

 あなたにとって、認知症ケア』とは何でしょうか?

 

「すぐ忘れてしまう人の対応」ですか?

「周囲または自分自身に迷惑をかける人を守ること」ですか?

認知症の進行を遅らせること」という人もいらっしゃるかもしれません。

 

これら全て、間違いではありませんが、正解でもありません。

それは、現場で働く職員さんが身をもって経験していることでしょう。

 

私たちは、認知症ケア』のプロといえど、どう対応するのが正解とは言えず、いつも”その場しのぎ”にケアをしては、成功や失敗を繰り返します

後輩職員や外部の人に介護を伝えようとしても、言葉で説明するのが難しく、一から学ばせていることになってしまっています。

そんなことでは、『認知症ケア』のプロとは言えませんし、いつまで経っても介護の分野は専門性が低く、賃金が上昇しないことにも頷かれてしまうわけです。

 

そこで、今回は、認知症ケア大原則』として、3つのことを提案したいと思います。

 

特に小難しいことを言うつもりはありませんが、みんな忘れがちなことです。

介護現場は、変化を嫌う性質があり、そして変化がない方が利用者のためであるため、同じことの繰り返しが求められる側面があります。

つまり、意識していないと忘れて落ち込んでしまうのです。

 

利用者のためにも、あなた自身のためにも、職員の介護力が上がる『認知症ケア大原則』を提案します。

「どこを目指して仕事をすればいいのかわからない」という人は、ぜひお付き合い下さいませ。

 

 【目次】

  

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認知症ケア大原則

 

 ある時、ある利用者さんが言いました。

 

「家に帰りたい」と。

 

ある時、と言いましたが、語弊があるかもしれませんね。

ほぼ毎日毎時間毎分のように口にされることがあります。

それほどまでに繰り返される帰宅願望やその他の訴えに対して、介護職員のあなたならどう受け答えするでしょうか?

もちろん、その利用者さんは、自宅で生活することはできず独り暮らしであるため、施設にいてもらわなくてはいけません。

 

「今日の夕方帰れるように手配します」と嘘をつく人もいれば、「家には家族がいないからここで泊まらないといけない」と真実をつきつける人もいることでしょう。

これらの対応方法には、正解がなく、前者に「わかったよろしくね」と落ち着く人もいれば、後者に「わかったよろしくね」と理解して下さる人もいるわけです。

 

認知症ケア』と一口に言っても、相手は様々、そしてその人自身の人格特性や気分も様々に変わることがあるわけです。

これほど多様性に富んだ存在を相手にする我々介護士は、何が正解かわからず”その場しのぎ”なケアや対応をすることが多いのです。

そこで、「これが正解だ」「こうすれば大丈夫」というアドバイスをすることはできませんが、「何が間違っているか」「これはしないに越したことはない」ということを提案することはできます。

 

認知症ケア大原則』として核となる考え方を、3つの「~しない」で提案します。

 

3つともに具体例や根拠を添えてお話しますが、全てに共通する概念として『基本的な人間関係力』という結論に至ります。

 

認知症ケア大原則』につながる『基本的な人間関係力』とは一体何なのでしょうか?

一緒に考えていきましょう。

  

 

否定しない。

 

  まずは、『否定しない』という原則を心の中に持ってみて下さい。

 

これは、その人の意見には全て賛成しろ。という意味ではなく、その人が抱いた感情や認知について否定しない。という意味です。

批判しないという表現の方がしっくりくるかもしれませんね。

 

例えば、利用者さんが「帰りたい」と帰宅願望を訴えられた時、「今日はお泊りですよ」「息子(娘)さんが預けてくれたんだから、帰れません」と受け答えしがちです。

それで理解して下さる人ならいいのですが、「いいから帰らせてよ!」「私のことはほっといて!」と帰宅願望の訴えが強くなる人もいます。

 

実際、一人で帰らせては道に迷うか交通事故にあうような人で、自宅にいるより施設の方が快適に過ごせるはずです。

それを圧倒的に正しいと思われる根拠や説明を持ってしても、職員の声かけが耳に入らない人もいます。(というか大半がそうです)

これは、認知症だから何を言っても無駄”ということではありません。

むしろ、とても人間の本能として忠実な反応なのです。

 

どういうことか説明するために、あなたが普段している自分の声かけについて省みてみましょう。

 

 あなたは、利用者の方が施設で定められた基準や、その人自身の生活、職員側にとって都合の悪いことを訴えられた時、どのような受け答えをするでしょうか?

「そうではないですよ、これが正しいですよ」と説明しようとしていないでしょうか?

このようにして、本来あるべき姿や正解を教えようとするのは、聞き分けの良すぎる人かあなたを心から信頼している人にしか効果はありません。

そもそも「帰りたい」という気持ちを抱く時点で、「ここには居たくない」という訴えに等しいため、素直に聞き入れてくれる人の方が少ないでしょう。

そういう人に対して、施設にいるべき正当な理由を並べ立てても意味がないわけです。

なぜなら、私たちが相手に「説明する」という行為を行う時は、「相手の間違いを指摘して自分の正しさを伝える」行為になるからです。

つまり、自分がどれだけ相手のことを思っていたとしても、「説明しようとする」のは「自分の正義を相手に押し付ける」行為に過ぎないのです。

 

人間の脳には『戦争のメタファー』といって、相手との意見や考えに不一致が生じると、相手を敵とみなし戦争モードに入る機能が備わっているそうです。

 

自分が正しいと思っていたことを相手は間違っていると指摘してきたとしましょう。

するとあなたは、自分の正しさを理解してほしくて必死になります。

そして、お互いに自分の正義を伝えるために間違いを指摘しあう構図が出来上がるわけです。

どちらも悪気はないのですが、だからこそ自分の間違いにも気づけず、お互いが譲歩しあうのではなく、どちらの論が正しいか決着をつけるまで満足できなくなってしまうのです。

 

 

本当に相手のことを思い、尊重したいのならば、相手の感情や考えについて説明してもらうしかないでしょう。

だから『傾聴』は大事なことなのです。

 

もちろん、利用者のためを思って、利用者のためになる行動を促すための声かけをすることに間違いはありません。

そこで、今回提案している『否定しない』が効果を発揮するのです。

 

お話の途中で、『否定しない』は全てに賛成するのではなく相手の感情や認知に対して否定しないという意味という解釈を説明しました。

要するに、『否定しない』というのは、『同意する』のではなく、『共感する』に近いのです。

その人の意見が正しいかどうかは別として、その人が抱いた感情や認知を否定せずに共感してみましょう。

 

これからは、「帰りたい」と言われた時、真っ先に「今日はお泊りですよ!」と説明するのではなく、「帰りたいんですか?なぜそうなったのですか?」と教えを乞うてみましょう。

自分の感情や認知していることを説明してほしいとお願いされることがどれだけ気持ちの良いことか、飲み会で武勇伝や信念を語りたがる上司を見れば一目瞭然でしょう。

 

「私はあなたを否定するつもりはありません。どうぞゆっくりお話でも聴かせて下さい。私にできることがあればお手伝いしましょう」といった姿勢で臨みましょう。

これぐらいに味方してくれる存在じゃないと、人は相手の言うことを聞こうともしないのです。

かといって、その利用者の言う通りに動いてしまえば、周りに迷惑をかけたり、その人自身にとっても危険があるわけです。

だから、あくまで『否定しない』のはその人の感情だけで、意見に完全同意する必要はないのです。

つまり、全て言いなりになる奴隷にはならない立場に立つ必要があります。

 

 

奴隷にはならない。

 

 2つ目の原則は、『奴隷にならない』です。

 

『否定しない』の項で、相手の意見を変えようとするのがいかに危険な行為かはおわかり頂けたことでしょう。

しかし、こちら側の意見も聴いてもらわねばいけない時があります。

 

例えば、施設に泊まらせるのは「家に帰らせない不安感」じゃなくて、「今晩だけ泊まって明日帰れる安心感」ということを伝えたい時とかです。

(まぁ、これは事実として嘘なわけですが、要するに介護士の主張は、「相手を安心させたいと思っている」ことにあることです) 

 

相手に伝えたいことがあるなら、まずは傾聴しましょう。

文字通り、その人の思いに意識や肉体を傾けて真剣に聴いてもいいくらいです。

自分が感情的になっているのに、身を乗り出してまで理解しようとしてくれる人をどう思うでしょうか?

そう、先ほどお話した通り、自分の味方だと判断します。

 

つまり、『否定しない』の原則が守れたら、次に『奴隷にならない』の原則を発揮するのです。

その人の思いを傾聴することができたら、「なるほど、あなたは家に帰りたいという辛い気持ちでいっぱいなのですね。教えてくれてありがとうございます。私はあなたに安心してほしいと思っています。だから、一人で帰らせるのは危ないし、明日家族が迎えに来ることもわかっています(嘘)。私が付き合いますから、今日一晩だけ泊まって頂けませんか?」ということを伝えましょう。

(間違ってもこの文章のまま読み上げるような真似はやめておこう。相手が認知症の方であっても本心じゃないことくらいバレる。大事なのはこのニュアンスだ)

 

ここまでの関わり方をしてあげても、「いや帰りたい!」という人もいることでしょう。

そういう場合、私は、「そうですか、じゃあ一度事務所に連絡して家族に聞いてみるよう伝えますね」といった形で話を中断するようにしています。

もし、ここまでの流れで信頼を得ることができていれば、意外と相手は待ってくれるものです。

 

ここで、わざわざ言う必要はないかもしれませんが、我々介護士の目的は認知症高齢者の方にその場で落ち着いてもらうことです。

つまり、信頼さえ得ることができて、感情を鎮静させることができているなら、目的は達成されていると思っていいでしょう。

実際、話を中断して離れたら、その利用者の方は事実を忘れて違うことに意識が向いているかもしれません。

そして、事実は忘れても感情は残ると言われる認知症の方には、自分に対する信頼という感情が残っているため、後々有利なわけです。

 

 

形式にこだわらない。

 

  最後は、『形式にこだわらない』という原則です。

 

あなたは、自分が亡くなるまでの間、自分が求める呼び名や話し方をしてもらって心の距離を縮めようとしてくれる人達に囲まれて生活するのと、

表向きでは「様」付け、客観的というよりは他人事、冷静というよりは冷たく、扱われるのとではどちらが良いでしょうか?

 

 

認知症ケア大原則』の全てに共通することですが、最も意識するべきは、相手との人間的な対話です。

そこに認知症の症状や老化による機能低下などがあるから認知症の方との関わりは難しいだけであって、やるべきこととは基本的な対人コミュニケーションをとることです。

 

つまり、世の中で教えられているような認知症ケアにあまり振り回され過ぎない方が良いということです。

今回お話しているような「~ということはしない」ことを意識しようという原則は守ってもいいと思いますが、「~をすればうまくいく」ということはありません。

 

あなたは、身近な人や親しい友人との関係性において、何か理論的に意識して関わろうとしているでしょうか?

おそらく、少し距離感は意識しても、自分らしく振舞えていることでしょう。

もしくは、もっと自分のことをわかってほしいと図々しくなっているくらいです。

そうやってして長い人生の中で残った人間関係とはうまくいっていることでしょう。

自分らしく振舞っているのに、周りの人が離れていくとしたらあなたのパーソナリティに問題があるのかもしれません。(というと自虐になるのでやめておこう)

 

他の人間関係と違いがあるとすれば、たまたま学校(職場)が同じで、物理的に近い距離にいた相手というくらいでしょう。

心理学的には、運命的な出会いなどなく、物理的に近くに存在する相手との親密性が高まることがわかっています。

だから、本当に親密な人間関係を育みたいなら、変に理論や技術を使うことを意識せず、自然と近寄り自然と一緒にいる時間を長くすることです。

 

一緒にいる時間が長いというのは、どこかで聞いたことがないでしょうか?

 

そう、介護現場では、職員は利用者に最も身近に寄り添う存在です。

それも、飽き飽きするくらい毎日同じ日常を繰り返すはめになります。

相手との親密性を高めるのには絶好の場所といえるでしょう。

しかし、利用者の方との関係性がうまくいかないのは、相手が認知症だからでしょうか?

それも確かではありますが、私はもっと違うところに原因があるように思います。

それは、「相手が認知症だから」と諦めてしまい、基本的な対人コミュニケーションを怠ったこともまた、原因の一つだと思います。

 

認知症ケアとは、こうするべき」「介護士は、こうあるべき」という、利用者個々の多様性や多面性を無視した画一的な考え方が、介護士の自由な発想を阻害して幅の狭いコミュニケーションしかとれなくなります。

 

これが、『形式にこだわらない』という原則を主張する所以です。

もちろん、最低限守らないといけないこともありますが、それは「利用者の尊厳」という名のもとに介護業界のお偉い方々が現場の人間に押し付けようとする、

「福祉の心」だったり「サービス精神」ではありません。

(これは、低賃金なままでも重労働を強いられているとさえ感じます) 

 

正直、介護現場の利用者の方々が求めているのは「様付け」や「尊敬語」ではなく、タメ口でもいいから「信頼できる存在」であることにはほとんどの介護士が気づいていることでしょう。

 

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介護士にこそ『基本的な人間関係力』が必要。

 

 いかがだったでしょうか?

今回お話した内容は、認知症に関する知識というより、心理学の知識を用いての認知症ケア大原則』でした。

それはなぜか、どういうことかというと、介護士にこそ『基本的な人間関係力』が必要だからです。

 

なぜなら、相手が認知症であるという考えを持った時点で、まともに会話しようともしない職員もいるからです。

 

もちろん、一般的に考えたら、まともなのは我々健常者の方で、認知症のある方はコミュニケーションに必要な機能が衰えているということは言えます。

しかし、人生最期を過ごす生活空間の中で、「我々」と「彼ら」で分けるのはあまりに残酷な話ではないでしょうか?

 

かといって、職員と利用者はあくまで他人同士なわけです。

主観的感情を出しすぎると、過ちとなるところが介護職の難しいところです。

だから、同じ人類という仲間でありつつも、プロと利用者というある程度の距離感も必要なわけです。

このようにして、距離感を保ちつつも関係性を育むために必要な能力は何でしょうか?

そう、基本的な人間関係力です。

 

閲覧ありがとうございました。