介護学×心理学ブログ

低賃金、人手不足、3K、何かと問題ばかり抱える介護業界。なぜ、介護の分野は成長していかないのか?それは専門性が低いからであり、あったとしても感情的・根性論が多いのが現状。介護の専門性とは何か?どうすれば向上していくのか?介護の本質を知らない、あるいは興味がない経営者に代わって、論理的に解説するブログ。

介護現場で起こる事故は誰の責任か?何が原因か?を心理学的視点から考える。

【目次】

 

   

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事故は誰が悪いのか?何が悪いのか?

 

 この際だから、事故の犯人を特定させましょう。

 

あなたは、介護現場で働いていて、できるだけ事故のない日々を送りたいとは思いませんか? 

事故が起きると、本当に辛いですよね。

何でもない日常の中、何の前触れもなく利用者の方が転倒して、大怪我でもすると大忙しです。

応急処置や入院までの手続き、事故報告から対策まで、一気に流れるようにこなしていかなくてはなりません。

そんな忙しい中、「うわぁ、やってしまったぁ...」「すごく申し訳ない気分で、誰かに謝りたいけど、一体どこに向かって頭を下げればいいんだ...」という、行き場のない罪悪感でいっぱいになります。

 

そんなストレスを抱えないためにも、いやそもそも事故が起きないためにも、事故に対する考え方と対策の仕方を考察していきたいと思います。

介護現場で起こる事故は、誰の責任か?何が原因か?を心理学的視点から答えを出してみましょう。 

といっても、専門的で複雑な話をするつもりはなく、みんなに馴染み深い内容です。

あなた自身も気づいているはずの、事故の責任と原因の所在は、一体どこにあるのでしょうか?

 

 

現場で事故が起きてしまう原因と、その犯人とは?

 

 まず、事故の責任の所在を明らかにしましょう。

 

と言いたいところですが、明確に誰が悪いのだと特定させることはできません。

 

つまり、結論としては「みんなが悪い」ということです。

 

その根拠をお話します。

 

ここで重要なのは、「みんなが悪い」ということであって、「誰も悪くない」という意味ではないことです。

 

 

これを説明するためには、『多数の無知』という心理学用語を紹介しておかなくてはなりません。

『多数の無知(別名:集合的無知)』とは、人が集団の中にいる時、目の前にあることについて問題意識を持っていても、周りの人がみんな黙っているために、問題ではないのだと判断してしまうことです。(もちろん、周囲の人の意見は発言しないことにはわかりません)

 

特に日本人は、我先にと目立つことを嫌う文化もあるため、「自分が間違えているんじゃないか」という思い込みから抜け出せず、発言することをやめてしまうことは多くあると思います。 

こうして、目前のことに問題意識を持っているのに黙ってしまっていると、せっかく利用者の安全を確保するために気づいたアイデアも無駄になってしまいます。

自分はこうした方が良いとわかっているのに、そのアイデアを口にしないでいたら、防げるはずの事故も防げません。

 

つまり、「みんな(集団)が悪い」です。

 

 

 自宅で、特に一人暮らしの状態で、何か問題が起きた時(起きそうな時)、全てのコントロール権は自分にありますし、誰に気を遣う必要なく対処できるでしょう。

それが、同じように生活環境を整える介護現場で発揮されないのは、集団組織の中に属しているせいで発言しなくなるからです。

 

要するに、事故が起きてしまう責任はみんな(チーム)にあって、原因は人間の心理状態にあるのです。

 

これからは、気づいたことは発言するように心がけましょう。そして、職場のリーダーはそんな雰囲気を作ることも重要です。

それは、個人のアイデアを、「みんな気づいていない」「気づいているけど口に出していない」の2つの可能性があるからです。

 

 

そもそも、事故はあなた一人の責任ではない!

 

 そもそも論ですが、介護現場で起こる事故が100%あなた一人の責任であることはありえません

なぜなら、事故は起こってしまって当たり前だからです。

 

自宅では簡単に転倒されてしまう人が、施設で生活することで、どうすれば転倒が防げるのかを、それが起きる前に対策しておく必要があるのです。

 

人間なら誰しも集中力が切れたり注意が散漫になったりして、薬を飲み間違うこともあるでしょう。

そんなヒューマンエラーを起こすことを個人の責任にするのは、その人を人として扱わないことに等しいです。

 

事故が起きる前に対策できなかったことに問題があるわけで、当事者ばかりを責めるのは的外れと言えるでしょう。

そういった意識のある高レベルな職員さんは、「ごめん私も気づかなかった」と、自分がその日休日であっても反省しているのをよく見かけます。

 

 

そして、介護施設という組織で預かっている限り、一職員に責任を負わせることもありません。

仮に虐待なんかがあっても、それに気づかず放置していた会社自体も問題があるわけです。

何が言いたいかというと、介護現場で起こる事故が100%あなた一人の責任であることはありえませんし、自分だけを責める人も他人だけを責める人も建設的だとは言えないでしょう。

 

要するに、「みんなが悪い」です。

 

もちろん、その現場に居合わせない事務所にいる上司の方々にも責任はあります。

そんな直接現場に従事しない立場の人たちには、何ができるでしょうか?

 

それは、心理的安全性』を担保することでしょう。

心理的安全性』とは、心理学用語で「物事を成功させるためには失敗はつきものだと認識し、失敗を恐れずに挑戦できる心理状態」のことです。

 

例えば、初めて自転車に乗る時は転倒して怪我することが怖いでしょう。

しかし、自分の親が後ろで見守ってくれていることで、こけても助けてくれるという安心感が生まれて挑戦できるようになります。

 

これと同じように、バックで誰かが支えてくれるという安心感を、現場の人たちに与える必要があります。

「失敗しても許される」「失敗を気にしない」という甘やかされた風土ではなくて、むしろ積極的に「失敗を認める」「間違いを指摘し合う」ということが奨励されるような風土を作る必要があるため、そう簡単なものではないですが。

 

 

「もう二度と起きないように」と誓ったのに、繰り返される理由。

 

  あなたは、自分がその日担当していたユニットで利用者が転倒した時、自分のミスで誤薬してしまった時、「もう二度と起きないように」と誓って深く反省した経験があると思います。

 

しかし、同じような状況で事故が繰り返されることもあります。

するとあなたは、「自分はなんてダメなやつなんだ」と落ち込むことでしょう。

 

しかし、ダメなのはあなた自身ではありません。

犯人となるのは、人間の深層心理に隠れた『快楽適応』というものが原因で、これは「どんな幸福にもトラウマにも慣れて(飽きて)しまう」という意味の心理学用語です。

 

人は、「今よりもっと幸せになりたい」「過去を忘れてより良い未来を期待したい」という欲求があるために、どんなに嬉しかったことも辛かったことも忘れるか飽きてしまうかして、順応していきます。

つまり、どんな出来事があっても、人間には感情レベルを平均値に戻すという便利な機能が備わっているわけです。

それが良いことか悪いことなのかを決めつけることはできませんが、反省の心を忘れて事故に対する不注意さが戻ってしまうという点では、良いとは言えないでしょう。

 

 

このことを理解したあなたは、「なるほど、自分がミスを繰り返すのは人間としておかしなことではなかったんだ。」と思っているかもしれませんが、その感情はいずれまた忘れてしまうわけです。

では、我々職員も人間だから事故が繰り返されるのは仕方のないことだ。という結論を出してしまうのは、利用者にとってあまりに残酷な話でしょう。

 

そもそも、どんなに真面目で気配りのできる職員でも、人間が8時間も注意力を保って仕事するなんて無理な話です。

 

そこで、人間が管理する現場で事故が起きてしまう(ヒューマンエラー)は避けられないものだと断定してしまい、それが二度と起こらない仕組みを作るべきだと思います。

物や機械に頼るとか、できるだけ人力が必要にならない工夫こそ必要でしょう。

 

まぁ、実際の介護施設で物や機械の導入を検討するには、あまりに経費など制限がありすぎて対策のしようがないこともありますが。

これも、今回の記事の結論につながってきます。「あなた個人は悪くない」です。 

 

どうしても対策が難しい場合は、身体拘束をすることもあるでしょう。

また、身体拘束とまでいかない場合は、家族に起こっても仕方ないことを伝えるのも手段の一つかと思います。

 

要するに何が言いたいかというと、事故が繰り返されることには大きな問題点はありません。避けようのない人間心理が原因です。

繰り返される事故に問題点があるとしたら、「職員の見守りの強化に頼っている」「そもそもその事故が起きる根本原因の対策がされていない」の2つです。

 

事故を起こしてしまった時に罪悪感を感じてしまう気持ちはわかりますが、人力で完璧に防げると思い上がっていたことこそ反省すべきです。 

 

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事故報告をどう捉えるかで、あなたのメンタルは変わる。 

 

 「日々、心をよぎる『あの時こうしていれば』という言葉。後悔の言葉なんかじゃない。『こうしていれば出来たはず』という自分の心が真に折れるのを防ぐ言い訳だ。」

 

これは漫画・アニメの僕だけがいない街の主人公、藤沼悟の言葉です。*1

 

厳しいことを言いますが、あなたがどれだけ後悔し反省しても、言い訳をしているだけでは事故は防げません。

 

そして、その母藤沼佐知子が素晴らしい名言を残しています。

 

「後から「自分のせい」なんて思うのは、思い上がりってもんだべ。

一人ひとりの人間に出来ることなんて限られてるっしょ。 」

 

 

  事故の責任を一個人が負う必要も理由もないことがわかったら、チームとして何ができるのか考えましょう。

それは、『多数の無知(集合的無知)』を乗り越えて、心理的安全性』が担保された環境の中、自由にアイデア交換をすることです。

そして、『快楽適応』で反省の心が薄れてしまうことを考慮して、二度と起こらないような現実的な対策をする必要があります。

 

過去を後悔しても仕方ありません。前できなかったことがこれからはできるなんて思い上がりもいいところです。

今、できることに注力しましょう。

 

 

 伝説的な実業家のヘンリー・フォードはこう言いました。

「失敗とはもう一度、今度はより賢く取り組むための機会にすぎない」

 

あなたが今、事故を起こしてしまってその報告をしているなら、次は二度と起こらないようにするための良い機会に過ぎません。

もし、「次からは気をつける」なんて甘い結論で終わる介護現場なら、その事故は繰り返されて当然でしょう。

といっても、「具体的な対策案があっても、それを実行できないのが会社組織」というのが本音ではあります。

だから、今回の記事の結論は、「みんなが悪い」です。

どうか、自分自身や同僚を個人的に責めるのはやめにしましょう。

 

自分にできる範囲で対処する必要はありますが、全てを一人で抱え込む必要はありません。

チームケアとは、(良くも悪くも)そういうものです。

 

閲覧ありがとうございました。

 

【参考文献】