介護学×心理学ブログ

低賃金、人手不足、3K、何かと問題ばかり抱える介護業界。なぜ、介護の分野は成長していかないのか?それは専門性が低いからであり、あったとしても感情的・根性論が多いのが現状。介護の専門性とは何か?どうすれば向上していくのか?介護の本質を知らない、あるいは興味がない経営者に代わって、論理的に解説するブログ。

介護士が不幸になりやすい理由が3つある。~介護士は本当に不幸なのか?

【目次】

 

   

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介護士が不幸になりやすい理由。

 

 あなたは、介護士であることに幸福を感じていますか?

 

世間では「3K」と言われて大変そうなイメージを持たれ、そして実際に大変なお仕事の介護職。

あなたは、将来にわたってこの仕事を続けたいと思いますか?

 

利用者の方から自分の介護を拒否され、暴言暴力を浴びせられたとき、「この仕事続かないかもしれない...」と思ったことはないでしょうか?

上司から報酬も評価も期待できない無駄になるとわかっている仕事を頼まれて、「こんなことやってられない」と思ったこともあるでしょう。 

SNSなどが発達した現代では、介護職で匿名で愚痴を発信することによって、介護のネガティブな側面ばかりが目に映ります。

それは、言い換えれば「現場の生の声」なわけですが、人間は厄介なことに、感情を増幅させるとあることないことを口にしてしまいます。

 

そこで、介護士は本当に不幸なのか?そうだとしたら、どれぐらい不幸なのか?を明確にしていきたいと思います。 

結論から先に言ってしまうと、介護士は不幸になりやすい要素がたくさんあるけど、それを促進させているのは利用者ではなく従事者側。ということです。

 

それでは、まず、介護士はどれぐらい不幸なのか?を明確にしてみましょう。

 

 

 

 

 

どうしても避けられない肉体的ストレス。

 

 いかにも、「シフトワーク」のことです。

 

睡眠不足が身体に悪いことは当然のことで、夜勤なんて肉体を犠牲せずにはこなせない仕事なわけですが、単なる「シフトワーク」自体も身体に悪影響が出るそうです。

 

これを、『科学的な適職』という「幸福度が最大化する職選び」の本の中では、「最悪の職場に共通する8つの悪」ということで、「時間の乱れ」が該当していると紹介されています。

科学の世界では「悪は善よりも強い」という格言があるように、どんなにポジティブな要素があっても、ネガティブな要素があれば打ち消されるか飲み込まれるかしてしまうそうです。

では、「シフトワーク」がどれぐらい身体に悪いのかを、この本の中から引用させて頂きましょう。

2万人の労働者を調べた2014年のメタ分析によれば、9時5時で働く人と比べた場合、週に3回以上のペースでシフトワークを行う人は糖尿病の発症リスクが42%上がり、コレステロールや血圧も激増していました。また別の研究では、年に50日以上のシフトワークを続けた人は、脳機能のスコアが大きく低下しており、この数値を年齢に換算すると同年代の人に比べて平均で6.5歳ほど脳が衰えた計算になります。*1

 

何とも恐ろしい話ですね。

人の老後を支えて病気や怪我から身を守ったり、それを行うはずの家族の負担軽減にもなり、多くの人のために働いているこの職業は、ただ普通に出勤するだけで健康状態も頭も悪くなることがわかっているわけですから。(なんかメンタル病みそう) 

介護がどれだけ素晴らしい仕事かとか、やりがいのある仕事だとか、そんなことを言っている余裕がないくらい、どうしても避けられない肉体的ストレスがあるのです。

 

ここまでのことは、正直「シフトワーク」がどれぐらい身体に悪いのかを数字で表しただけで、元々肉体を犠牲にしている自覚は誰しもあることでしょう。

しかし、ただ健康や脳の働きを犠牲にしているだけではありません。

 

人は、睡眠不足になると、自制心や倫理にまで悪影響を及ぼすことがわかっているそうです。

夜勤明けにすぐベッドに入ればいいものを、スマホYouTubeを流してダラダラと時間を過ごしたことはありませんか?(私はほぼ毎回だ)

また、睡眠不足は、美容や老化に悪影響どころか、他者からみた外見的な魅力度も低下すると言われています。

さらに、睡眠が不足している状態では、脳がネガティブなことに反応しやすくなることもわかっています。

 

 

 あまり睡眠不足のデメリットばかり話していると、夜勤中に転職のことばかり考えてしまうようになりかねないので、ここで話題を変えましょう。(最後にひと押し、睡眠不足にメリットはない)

 

今回のお話で重要なのはここからで、人間とは厄介なことに、肉体的ストレスを受けるとその事実的な数値以上のストレスを自分で勝手に増幅させてしまう心理があります。 

つまり、「シフトワーク」によるストレスが仮に50点だとしたら、それが出発点となって勝手にネガティブな感情を増幅させて、ストレスが100点にも150点にも上がっていってしまうのです。

そんなことでは、「シフトワーク」によるストレスを覚悟の上で仕事に就いているのに、無駄に不幸への道を歩むことになってしまうでしょう。

 

ここから先は、無駄にストレスを増幅させないためのお話をします。

 

 

あなたは本当に不幸ですか?

 

 人は、元あったストレスを勝手に増幅させてしまうと言いました。

 

これは、心理学用語の『確証バイアス』という言葉で説明することもできて、人間には「自分が立てた仮説の証拠ばかりを集めて、逆説的な論を無視する」という傾向があります。

つまり、私たちには、自分の考えを支持してくれる根拠ばかりを求めて、反対意見を無視してしまう心理が備わっており、「見たいもの見たいように見てしまう」のです。

 

これを今回の話につなげると、「介護士は3Kで辛い仕事なんだ!」「低賃金、重労働、人手不足!」「介護職は社会的底辺!」といったようなネガティブな考えがあると、実際に働くだけのストレス以上のストレスを感じてしまうわけです。

SNSなんかで、金持ちな人が豪華な食事や自由に旅行しているのを簡単に見ることができるおかげで、「この人たちと違って私は不幸だ」と落ち込んでしまいやすくもなっています。

その金持ちな人がそうなるまでにしてきた苦労や努力の量を考慮せずしてです。

 

 

 『原因帰属』といって、人は起こった物事の意味や理由を求めることをします。

 

自分が成功したのは、努力したから?運が良かったから?

嬉しいことや悲しいことが起きた時、それは今回だけ?また続く可能性があると思う?

幸運な状態は他のことにも作用すると思えるか?不運な出来事はたまたま偶然が重なっただけと思えるか?

(これは、ポジティブ心理学の第一人者といわれるマーティン・セリグマンが提唱した『説明スタイル』というもので、この文中では『個人度Personalization』『永続性Permanence』『普遍性Pervasiveness』という『3つのP』を表している)

 

このようにして、目の前の出来事は自分に責任があると思うのかそうではないと思うのか、一生続くものなのか一時的なものなのか、ラッキーやアンラッキーは他にも影響するか今回だけか、

つまりは、ポジティブに捉えるかネガティブに捉えるか、はその人の考え方によって違うそうです。

 

例えば、夜勤明けでイライラしている時、一つ前の項で話したような健康リスクを理解していると、「これだけ寝不足なんだから仕方ないよね、しっかりと休もう」と切り替えることができると思いますが、

ネガティブな原因に帰属しがちな人は、「やっぱりこの仕事向いてないんだ...もう会社に来たくないよ...」と落ち込んでしまいます。

そうやって自分自身で勝手にネガティブな感情が増幅されてしまうと、良くない方向へと進んでしまいがちです。

 

もしかしたら、ただ寝不足であることがストレスの元かもしれないのに、介護という仕事自体がダメなものであると判断すると、「介護=3K」といったような世の中で言われている価値観が正しいものだと思い込んでしまいます。

もちろん、介護は誰もが目指すべき素晴らしい職業だなんて言いませんが、「シフトワークをしないで介護をする」という間の道が見えなくなるのはもったいない話です。

 

 

 あなたは、本当に不幸なのでしょうか?

もしかしたら、単なる肉体的ストレスか、自分の思い込みか、その会社自体が合っていないか、のいずれかもしれません。

自分のストレスの元を正確に認識できていない状態で、「介護なんてやってられるか!」と転職を試みたところで、また悲劇は繰り返される可能性だってあります。

 

もう一度聞きますが、あなたは本当に不幸なのでしょうか?

そうだとしたら、介護という仕事をしているせいなのでしょうか?

 

介護の仕事がポジティブかネガティブかを答える前に、「介護は素晴らしい仕事」と言う人も危険であるという話をしましょう。

 

 

「介護は素晴らしい仕事」と言う人に隠れている危険な心理。

 

 ここまでで、『どうしても避けられない肉体的ストレス』『自分の思い込みによる勘違いな不幸』の2つを不幸になりやすい理由として挙げましたが、

最後の3つ目は、『「介護は素晴らしい仕事」と言う人に隠れている危険な心理』をご紹介します。

 

よく、「介護は素晴らしい仕事!」「給料が見合ってない!」「一番やりがいを感じられる仕事」という声を耳にしますが、そこにはある危険な心理が隠れています。

 

それは何だと思うでしょうか?

 

「価値観の押しつけ」「やりがい搾取」なんかではありません。

 

それは、『モラル・ライセンシング』です。

『モラル・ライセンシング』とは、「良いことをしたのだから、自分に何かご褒美を与えてもいい」となる心理のことです。

 

「今日は仕事を頑張ったから、お酒を飲んでもいいだろう」

「頑張って筋トレしたし、高カロリーなものを食べていいだろう」

これと同じように、「介護は素晴らしい仕事なんだから、もっと讃えられるべきだろう」という心理が隠れている介護職の方はおられるように思います。

 

だいたい、「給料が見合ってない」だなんてことは、払う側が決めることです。

その人に提供してもらうことに対する対価を支払っているだけで、もらう側が見合ってないと思うのであれば、働き方を変えてみればいいでしょう。

本当に介護が素晴らしい仕事なのであれば、それを武器にしていくらでも稼ぐ道はあるのではないでしょうか?

しかし、そうしないのは、それほどに専門性がない分野であるためその環境から抜け出せるほどではないからです。

結局、国に癒着してやっていくことになっています。

「介護は素晴らしい仕事」であることは確かかもしれませんが、だからといってもっと讃えられるべきとまでは言えませんし、成長を怠る理由にすらなりません。

 

良いことをしているからといって、現状ある問題点から目を背けていいわけがありません。

良いことをしているからといって、不健康なことをしていい理由にはなりませんし、それは自分自身にとってデメリットでもあります。 

 

そして、もう一つ言っておきたいのが、介護以外にも素晴らしい仕事はいっぱいあるということです。

「介護は素晴らしい仕事」と信じてやまない人には、成長や発展を怠る危険な心理が隠れているのではないでしょうか?

 

 

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介護は素晴らしい仕事だが、その形は素晴らしくない。

 

 なぜ、同じく現場で働く介護職員である私が、ここまで介護士が不幸になりやすいと強調するのか、間違った認識でいる人を批判して考えを改めさせるような言い方をするのか、

それは、「介護は素晴らしい仕事」と思っているからです。

 

「誰でもできる仕事」と言われることはよくありますが、結構ではありませんか。

何の能力も知識も持たない人間が、他人の人生を支えることができる職業に就くことができるのです。

むしろ、そこからの経験値(対象者との人間関係)を育む方が重要なくらいです。

 

そうやって目の前の人との関係性こそ重要であるのに、世の中の間違った認識による思い込みから、自分たちは不幸だと勘違いしてしまうのはやめにしましょう。

もちろん、いくらか犠牲にしている部分はありますが、それを覚悟の上で就職しているはずです。

介護以外の職業でも、何らかの犠牲を払った上で報酬を得ているはずです。

それは、労力や時間、勉強など努力して得た対価と言えるでしょう。

 

間違っているのは、自分が条件を受け入れた上で就職しているのに、国や会社が変わってくれることを望むばかりで、自分自身は何も行動しようとしないことです。

 

自分で自分の人生をより良くしようとしている介護士がどれぐらいいるでしょうか?

 

 

 私は、「介護は素晴らしい仕事」と言っておきながらも、「その形は素晴らしくない」と思います。

 

他者を支える介護という行為が素晴らしくないわけありません。

しかし、仕事として問題ばかり抱えている状態かと思います。

絶対に必要な仕事であるのに給料は低く魅力は感じられません。

今回お話したように、家族の代わりに職員の健康を犠牲にしている面もあります。

そうやって、誰かの犠牲に元に成り立っている状態を、早くも改善したいものです。

「福祉の心を持って、人として、機械に頼らず支援する」なんて言ってないで、自分たちが楽をするための試みを取り入れていくべきだと思います。 

 

 

【参考文献】