それはやる意味があるのか?~介護現場の間違ったケア3選
介護現場は、ただでさえ業務が忙しいのに人員は減っていく一方で、利用者の自立支援を促すことができずに介助負担は増加し、それらのストレスもあってか会社内での問題までもが増えていくという状態にあることが多いのではないでしょうか?
現状、いっぱいいっぱいな状態ではありますが、何か改革や変化を起こさなければ、やりがいの構築や組織のイメージアップにつながりません。
しかし、それをやる人材はいないし、入ってもこないし、、
だったら話は簡単です。
やる意味も必要もない無駄な業務を省いていくのが先決です。
介護現場の、無駄に思える、なんなら間違っているとさえ言えるケアを3つ挙げてみたいと思います。
介護職員さんと一緒に考える機会が作れたら幸いです。
【目次】
介護現場の間違ったケア3選
今回ご紹介する3つのケアを、行っている職員の方は多いのではないでしょうか?
これから、3つのケアについて批判的な意見をぶつけますが、安心して下さい、今すぐやめなくてはいけないというような指摘をするのではなく、余裕を作るためにもやめてしまっていいんじゃない?という考察です。
今、みなさんがやっているそのケアや業務は、これまで必要だと思っていたからやっているわけであって、考え方や捉え方次第では、なくすこともできるし違う方法に変えることもできます。
介護現場での仕事で、負担を減らしてやりがいを感じてるためには、そうした工夫を施していくのが一番効果的だと思います。
いつか良い人材が入ってくる、国や会社が変わってくれる、なんて幻想を持つのはやめて、自分たちで考える癖をつけて理想へと近づいていきましょう。
リハビリ
いきなり、最も重要そうなケアから批判します。(笑)
「リハビリ」は、本当にやる必要があるのでしょうか?
利用者の自立支援なんてやらなくていい、衰退していけばいい、と言っているのではありません。
今回無駄だと言っているのは、「自立支援」ではなく「リハビリ」です。
「リハビリ」と聞いて、あなたは何を想像しますか?
立ち上がり、歩行、関節可動域を広げる運動、他には算数ドリルをされている姿も見かけます。
どれも、心身の機能を向上させるのに効果のあるものかもしれません。
しかし、それをやる意味や必要があるのかという問いかけをすると、話は変わってきます。
なぜなら、利用者の方はアスリート等ではなく生活者だからです。
何が言いたいかというと、どんな効果の出る訓練をしていても、実際の生活に活かせなかったら無意味(に近い)ということです。
要するに、日常生活動作に適している機能の訓練を行うのはいいでしょうが、単なる「機能訓練(筋トレ)」や「頭の体操(算数ドリル)」を行う必要はないということです。
算数や間違い探し、塗り絵などのドリルを利用者にさせるのは確かに頭の体操にはなるかもしれませんが、実際の生活に活かされるかと言えば、そうは思えません。
そんな資料を作っている暇があるなら、横に座るか外に出てもらい、人とコミュニケーションをとる方が刺激的で認知機能の向上に役立つはずです。
しかも、中にはドリルを渡したところで、ボーっとして手が進まず、職員が「頭の体操だよ!」と声かけしてモチベーションを引き出すだけの時間になってしまっていることもあります。
そして、これが一番の問題です。
重要なのは、自発性
その人がリハビリで立ち上がるのは、職員が声かけしたからではないでしょうか?
その人が自宅や施設などに帰った時、「どこかへ行こう」という気にならなかったら、そもそも歩き始めないのではないでしょうか?
本当に効果があって意味のある自立支援は、その人が自発的に動こうと思えるリハビリをすることだと思います。
例えば、「尿意はあるけどトイレまで行けない」という方には、文字通りそのニーズに応じた機能と自信をつけさせる支援が求められます。
わざわざ場所を変えて平行棒をつたわせたところで、実際の生活環境で動いてなかったら意味がないのです。
そのため、自立支援を行いたいのなら、日常生活動作の中に組み込むのが一番だと思います。
例えば、毎回のトイレ案内の時などに、介護者が手で引くのではなく声かけと見守りだけにするとかして、余計な筋トレやドリルをさせるくらいなら、実際の生活動作に時間をかけて訓練した方が効率も良いはずです。
食事介助
「食事介助」においても、無駄に思える場面を見かけます。
三大介助と言われる中の「食事介助」自体は必要かもしれません。
しかし、何故、食事介助が必要なのかというと、生命を維持するため(人によっては楽しみを持つため)に、食事する必要があるからです。
ということは、生命を維持するための栄養を摂ることができていたら、それで目的は果たされているわけです。
それなのに、全量摂取することが正義かのように介助を行う人がいます。
出された料理を残さずお返しするという精神は立派なものかもしれませんが、それが理由で必要以上に食べてもらおうと無理する必要はありません。
ゼリーからわかる、集団的思考の悪魔
そして、もう一つ面白い事例があります。
それは、「ゼリー」に関することです。
介護施設や病院では、食事の摂取量が足りなくて栄養補助食品というものを摂取してもらうことがあります。
エンシュア、メイバランス、ブリック、と様々な種類のものがありますが、それをゼリーにして提供することがあります。
他にも、プリンや果物のゼリーを提供することもあるでしょう。
そこで、あなたや周囲の介助方法を見直してほしいのですが、ゼリーを器から口まで運ぶ時に何かをしていませんか?
ただスプーンですくって口まで運んでいるのならいいのですが、、
答えは、器の中でゼリーをぐちゃぐちゃに潰す行為です。
これは、介護現場なんかでよく見られる行為ですが、ハッキリ言って逆効果です。
咀嚼ができなくなってしまっている人のために、代わりに潰しているのかもしれませんが、そもそもゼリーは咀嚼なしで飲み込めるような形状になっています。
喉につまらない程度の大きさを口に入れれば、そのまま嚥下できるはずです。
それなのに、わざわざ細かく潰してしまうと、口の中に残りやすくなり、むしろ誤嚥のリスクは高まるでしょう。
みんなが当たり前にやっているあの行為、私は不思議でたまりませんでした。
というのも、ゼリーというのは、ゼラチンなんかを駆使して水分量の多い食品を固める行為のはずです。
わざわざ固めたものを、再度ぐちゃぐちゃに分解するのは何が目的なのでしょうか?
レストランで綺麗に盛り付けられた料理を、わざわざ食べにくい形に分解して食べるようなものです。
これは、比喩ではなく実際に行われている例え話になりますが、なぜそのような行為をするのでしょうか?
と、ここで考えていても仕方ありません。
今まで経験してきた施設で、実際に先輩職員さんに尋ねてきました。
「え、なんでって、みんなやってるし、先輩に教えてもらったし、こうした方が食べやすそうだから」
という答えが大半を占めます。
自分が行っている介助の効果や意味を考えずして、ひと手間かけているのです。
こんな忙しい時に、、恐ろしい話です、、、
パジャマ
「パジャマ」に関しても、疑問に思うことがいくつかあります。
まずは、パジャマを着る目的を3つ挙げて、パジャマへの更衣が必要なのかどうかを、それぞれ考察していきましょう。
パジャマに着替える目的を3つ挙げるとしたら、「清潔の保持」「生活的な気分」「自立支援」が挙げられるかと思います。
清潔の保持?
海外の人からしたら馴染みのない感覚なのかもしれませんが、日本人は汚れた衣類や体のままでベッドを入ることを嫌う文化があります。
海外では、外出していた服装でベッドに入り、朝シャワーでさっぱりしてから外出するのが主流だと言われていて、
日本では、夜はお風呂にゆっくり浸かって、朝はそのままお出かけするケースが多いのではないでしょうか?
ちなみに私は、朝シャワー夜風呂のいいとこどりなのですが、、正直介護の給料で水道光熱費キツイ。
話を戻すと、日本人は汚れたままベッドに入ることを嫌います。
寝る時は、せめてパジャマに着替えたいという気持ちの人もいることでしょう。
しかし、本人のニーズや実際の清潔保持とは関係なく、全員がパジャマに着替えなくてはならないという決めつけた考えになってはいないでしょうか?
もし、着替える必要のない利用者の方がいれば、その分の更衣介助の負担が減ります。
(少しでも、省ける手間は省きましょう!)
例えば、寝たきりの人の場合、普段着でベッドに入っている時間はないでしょうか?
食べこぼしや唾液などで汚れてしまった衣服のままベッドに上がり、それで、夜になったら、「もう寝る時間だからね」とパジャマへの更衣を促すのです。
せっかくパジャマに着替えても、すでに汚れたベッドに入ってしまうことになり、「清潔の保持」とは言えないのではないでしょうか?
まぁ、汗ばんだ衣類を替えてあげようとするのは良いことだと思います。が、それなら肌着も替えてあげるべきだと思います。(笑)
(施設では、肌着の交換は入浴時だけのことが多い)
就寝の意識付け?
先ほど、文化の違いという話をして、日本人は就寝時にパジャマに着替える習慣があると言いました。
パジャマに着替えることによって、認知症高齢者の方に「これから寝るぞ」という意識付けをしたいかもしれません。
それが目的だとするなら、それこそ「パジャマに更衣しなくては」という意識を取り払うべきです。
なぜなら、全員を着替えさせてベッドに寝かしつけなくてはいけない就寝介助では、イライラすることが多いからです。
起床介助でも同じことが言えますが、次の食事や自分の退勤といった決められた時間までに、利用者の方を案内する時に職員は最もイライラしやすいかと思います。
それで何が起こるかというと、更衣することに前向きじゃなかったり嫌がっている方に、ほぼ無理やりな状態で介助を行ってしまうか、また自分で更衣をさせるにしても、利用者の交感神経は活性化して興奮して寝れないという状態に陥ります。
つまり、職員側のペースや意識でパジャマに更衣したところで、利用者は寝る気分にはなれないし、むしろ目が覚めてしまうということです。
実際、「これから寝る時間ですよ!さぁ、この寝間着に着替えましょう!」と頑張って就寝介助したところで、数分後にその利用者が「おはようさん」と居室から出てこられることは多いでしょう。
自立支援?
寝る時はパジャマに着替えるという、日常生活動作を行うことによって、自立支援を図ろうというのでしょうか?
ここまででもすでにお話しましたが、忙しいと(時間をかけたら)自力でできる人でも、介助をしてしまっていませんか?
前半の方でも言ったように、自立支援では自発性が重要です。
介護士の意思で更衣(その他の生活動作も)をさせている時点で、それは意味や効果のある自立支援なのでしょうか?
もし、声かけしたことによって、本人が「あ、そやな。着替えよか」と気付けたり、元々のニーズや生活習慣としてその動作に重きを置いているのであれば、支援するべきだとは思いますが、
嫌がっている人に無理やり介助を行うことは自立支援とは程遠いですし、やる意味も必要もない間違ったケアだといえるでしょう。
そういった無駄を省いていくことが、介護現場に必要な変化だと思います。
意味のないことで努力するから辛い。
いかがだったでしょうか?
今回お話した、介護現場のやる意味も必要もない間違ったケアとして、「リハビリ」「食事介助」「パジャマ」の3つを挙げてみました。
共感して頂ける部分とそうでない部分があったとは思いますが、一緒に考える機会を作れただけでも喜ばしい限りです。
今回お話した内容とは違った考え方、または他にも無駄と言える業務や介助行為は多くあるかもしれません。
「あれをしなくちゃいけない、これもやらなきゃいけない」と慌ただしい毎日を送るより、「それは本当にやる意味や必要があるのか?」と立ち止まって考える機会も作っていくべきだと思います。
もし、意味のないことや必要のないことに、労力を費やしているのだとしたら、やめてしまった方が良いです。
例えば、毎日の業務で疲れ切っているという人もいるかもしれませんが、休日に旅行して一日中観光し食べ歩いたような日は、「今日は疲れた...」と落ち込んで帰ることはないでしょう。
自分を磨くために、筋トレをして筋肉にダメージを与えてカロリーを消費した日なんかは、「今日は疲れたぁ!」とむしろ達成感を味わうはずです。
あなたが仕事で苦痛や被害者的意識を持ってしまうのは、やっていて効果のない、意味を感じないことに労力を費やしているからかもしれません。
利用者が喜び、職員がやりがいを感じるような、価値あるケアを施す余裕を作り出すためにも、無駄を省くことが先決なのではないでしょうか?
閲覧ありがとうございました。