介護学×心理学ブログ

低賃金、人手不足、3K、何かと問題ばかり抱える介護業界。なぜ、介護の分野は成長していかないのか?それは専門性が低いからであり、あったとしても感情的・根性論が多いのが現状。介護の専門性とは何か?どうすれば向上していくのか?介護の本質を知らない、あるいは興味がない経営者に代わって、論理的に解説するブログ。

医療より介護!が高齢者を幸せにする、たった一つの根拠。【介護学入門!】

 

 介護という仕事がいかに素晴らしいかを語りましょう。

 

医療や看護に比べて、専門性が低いと言われる介護士ですが、高齢者の方を幸せにするという点においては、介護は必須の分野です。

 

確かに、介護は「誰でもできる仕事」と言われていて、その通りだとも思います。

 

それでは、なぜ、介護という分野の仕事がなくならないのでしょうか?

 

少子高齢化で需要があるから?

 

だったら、専門性が高いと言われる看護師を増やせばいいのではないでしょうか?

 

そうならないのは、介護士という存在が必要だからです。

 

医療より介護が高齢者を幸せにする、たった一つの根拠。をお伝えします。

 

あなたは何だと考えますか?

 

 【目次】

 

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介護の強みとは?

 

 冒頭の前置きを読んで、こう思われる方もいらっしゃるかと思います。

 

国が看護だけに絞らずに介護を残すのは、高い給料を払わなくてはいけない看護を増やさずに済むように、低賃金な職種で頭数を揃えるためだろ。と。

 

確かに、それが理由かもしれません。

 

世間一般から見たら、介護士はただの看護助手で、医療から指示されたことを鵜呑みにしてこなすだけの仕事という印象をお持ちの方もいらっしゃることでしょう。

 

実際の現場にも、カルテに書いてある通りの支援しかしない職員もいて、本当に適した支援が何なのかを考える機会を持つことは少ないです。

 

 しかし、私たちは紛れもなく「介護士」です。

 

低賃金で重労働をこなしてくれる介護士たちは、国にとって有難いかもしれませんが、中身を見てみると、介護がいかに高齢者の人生に影響しているかがわかります

 

医療や看護にはできないこと、介護の強みとは何なのかに目を向けてお話していきましょう。

 

 

事故の対策より、感情の改善。

 

 介護現場では、事故報告というものがあります。

 

これは、利用者の方が転倒して怪我したり、職員が服薬の仕方や種類を誤った時に、報告するもので、次は起こらないようにと対策を考えます。

 

もちろん、とても大事なことです。

 

同じミスが繰り返されてしまえば、利用者の体は持ちませんし、家族からしても不信感を持ってしまいます。

 

そのため、事故報告をする時は結構シビアな雰囲気が漂ったりもします。

 

誤薬や服薬忘れなんかがあると、看護師に「気を付けてね」と注意されたこともあるでしょう。

 

 しかし、とても大事なことであると言った反面、そんなに大変なことか?と勝手に考えています。

 

確かに、同じミスが起こらないように対策を考える時間も必要ですが、もっと必要なことがあると思います。

 

それは、高齢者の自尊心の保持です。

 

というのも、認知と身体の機能に衰えのある方の事故を起こさないようにするには、身体拘束に近い行いをしがちだからです。

 

例えば、転倒しやすい方の事故を予防する場合、あからさまにベッドや椅子に縛り付けるのは論外のこと、物理的な身体拘束はしないにしても、「立ったらダメ!またこけるでしょうが!」と本人の行動を抑制しようとする意識が芽生えます。

 

それで介護者側の介助量を増やしていけば、比例して高齢者の活動量とその意欲は低下していきます。

 

 

 事故を防ぐために、高齢者の活動を減らすのは仕方のないことなのでしょうか?

 

正直、転倒しても骨が折れてないんだったら、大した問題ではないと個人的には思っています。(骨折につながる危険性という意味では問題ですが)

 

服薬にミスがあったとしても、本人に変化が見られないのなら、そこまでミスを咎める必要もないはずです。

 

私たちの私生活でも、風邪薬や下剤、サプリメントを飲み忘れることはありますし、どこかにぶつかることもしょっちゅうあります。

 

要するに何が言いたいかというと、大事に至る危険性を加味して事故が繰り返されないような工夫や対策は必要ですが、起こってしまった事故は大した問題ではないということです。

 

それより、もっと問題に感じることは、ちょっとした事故を敏感に恐れて高齢者の行動を抑制して機能を低下させたり、病気や精神状態を落ち着かせるために過剰な薬の投与をすることです。

 

 例えば、利用者の方の認知症や老化が進み、感情や行動に変化が見られると、医師に相談すると思いますが、だいたいが「精神に効く薬を出すので、それで様子を見ましょう」です。

 

もし、そのアプローチにミスがあると、余計に暴れ出してコミュニケーションすらとれなくなるか、ぐったりと落ち着きすぎて活動量が一気に低下してしまいます。

 

このアプローチミスは、一回の服薬ミスや転倒事故なんかより、大きな問題として捉えるべきだと思うのは私だけでしょうか?

 

 

 人間が歳を取っていろいろな機能が衰えると、介助量が増えたり、関わりが困難になったり、性格の醜い部分が見え隠れするものです。

 

結局、最後の最後で介護が必要になるのなら、ちょっとした病気や怪我はそのままに、外部から余計なことをせずに、ありのままの姿のその人として関わった方が楽なケースはいくつかあるはずです。

 

少し転んだくらいなら、また立ち上がればいいのです。

 

高齢者の方は、そうやってこれまでの人生を生きてきたはずです。

 

立ち上がった後の行動を邪魔するよりも、「まだ大丈夫」と思える声かけや工夫こそが、求められる支援ではないでしょうか?

 

 

「人体」より「人生」へのアプローチ

 

  医療、看護、介護と、高齢者の方を支える仕事という面では一致していますが、アプローチの仕方に大きな違いがあります。

 

医療や看護は、身体や病気といった、その人の「人体」を良くすることに特化しています。

 

介護は、身体はもちろんのこと、生活上の趣味趣向といった感情面、つまりはその人の「人生」に寄り添うことに特化していると言えるでしょう。

 

逆に言えば、介護士の質や能力次第で、その人の人生の満足度が左右されると言っても過言ではありません。

 

 

 確かに、病気にかからず健康体を保ちたいですし、怪我だってしたくはありません。

 

しかし、病気を治すため、怪我をしないためだからといって、薬漬けは嫌ですし、ベッドに縛り付けられるなんて人生は誰も望まないでしょう。

 

それよりかは、こけても手を差し伸べてくれたり、歩けなくなってたとしても、できることの中で喜びを与えてくれる存在の方が必要とするはずです。

 

 

「治療」より「予防」が必要。

 

 近頃、コロナウイルスについてのニュースばかりが流れていますね。

 

正直、世間や流行に疎い私は、なぜみんながそこまで話題にしているのか理解ができていません。

 (感染症についての情報に興味を示さないのは、施設介護士として考えを問われそうですが)

 

なぜ、みんなが過剰に恐れるのか、考えられる原因の一つは、人間は未知のもの、曖昧で新しいものに対する耐性がなく、ワクチン(特効薬)がないのに感染したらどうしようという不安からくるものだと思います。

 

 人間は未知のものや曖昧で新しいものに不安と恐怖を感じる心理がありますが、それ自体は良いことだと思います。

 

どんなことにも不安や恐れなく行動して生きていれば、簡単に命を落としてしまいますし、失敗に対する準備や学びを行う機会を作らなくなってしまうため、必要な心理状態です。

 

そのため、感染症には最善の注意を払い、その話題を取り扱うことは良い心掛けとも言えるかもしれません。

 

しかし、なぜコロナウイルスだけなのでしょうか?

 

インフルエンザにならかかってもいいのでしょうか?

 

ワクチン(特効薬)があるから大丈夫?

 

そういった思いでいるとしたら、考えを改めた方が良いと思います。

 

 

 医療が発達しているこの世の中ですが、発達しているからこそ、「病気になっても大丈夫」という安心感より「病気にはならない」という肉体作りや心構えの方に意識を戻ないければなりません。

 

しかし、人間は自分に甘い生き物で、感染症のブームが過ぎ去った頃には以前の生活習慣に戻ってしまい、健康や感染対策の意識は薄れていくでしょう。

 

認知症高齢者の方となればなおさらのことです。

 

不健康どころか、自ら病気や怪我につながるような行為をしてしまいがちでしょう。

 

それを予防する立場にいるのが、介護士たちです。

 

病気や怪我を治せる医療は素晴らしい専門性をお持ちだと思いますが、そもそも病気や怪我にならなかったら必要のない分野とも言えます。

 

利用者の性格や行動の傾向を知り、「治せる」安心感を超えて、「治す必要もない」レベルにまで心身を支えることができたとしたら、それは医療に負けない介護の専門性と言えるでしょう。

 

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「死なない」より「生きる」を目指す。 

 

 医療より介護が高齢者を幸せにする、たった一つの根拠。の答えは、目指しているものの違いです。

 

医療は、延命処置や悪い病気や怪我を直すこと、つまりは死なないことに一生懸命になりますが、

介護は、悪くなった体でいかに幸福を感じるか、生きることに焦点を当てているという違いがあります。

 

どちらも、高齢者の方々を支える上で必要な分野ですが、医療は時折、病気や怪我を直すためにベッドから動かないことを指示してしまうことがあります。

 

すると、病気や怪我が治ったとしても寝たきりになってしまい、その後の生活で生きるための機能と意欲が低下してしまいます。

 

これでは、何のために治療したのかわかったもんじゃありません。

 

 

 年老いて悪くなっていく体に医療の技術を施すよりも、その体で今以上に悪くならないために何が必要かを考えましょう。

 

文字通り、「CURE(治療)」より「CARE(予防)」を重視するのです。

 

 

 私たちは、夜に良く眠れるように日中の活動量を増やしたり、生活態度を改めたりします。

 

これと同じように、生と死もつながっていると思った方が良いでしょう。

 

「いつか(または明日にでも)死ぬかもしれない」とわかっているからこそ、今日を一生懸命に生きます。

 

不老不死だと何でもできるとお思いですか?

 

たぶん、何もしなくなって怠惰な人生を送るはめになります。

 

「どうすれば死なないのか」を追求するのが医学なら、「いかにして生きるのか」を目指すのが介護学です。

 

専門性や賃金が低くネガティブなイメージが多いですが、だからこその伸びしろと価値があるのが後者の介護業界だと思います。

 

閲覧ありがとうございました。