介護学×心理学ブログ

低賃金、人手不足、3K、何かと問題ばかり抱える介護業界。なぜ、介護の分野は成長していかないのか?それは専門性が低いからであり、あったとしても感情的・根性論が多いのが現状。介護の専門性とは何か?どうすれば向上していくのか?介護の本質を知らない、あるいは興味がない経営者に代わって、論理的に解説するブログ。

「介護は心」などと言う人が、次世代の介護士を潰す可能性。

 

閲覧ありがとうございます。介護福祉士のTAKUMIと申します。

 

 世の中では、介護施設で虐待が行われていたなんて悲しいニュースが流れることがあります。

 

介護施設で起こってしまう虐待は、3Kや人手不足などによるストレスが原因だとされることが多いです。

介護というストレス過多な仕事に、メンタルの弱い精神的に未熟な若者が従事するのが原因だということもありえますが、実際にそればかりではないはずです。

 

もしかしたら、育て方にも問題があったのではないか?これからの介護業界を担う職員たちを、どう育てていけばいいのか?を考えていきたいと思います。

 

 今回は、「介護は心」などという人が、次世代の介護士を潰す可能性。というタイトルでお話していきます。 

 

 【目次】

 

 

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福祉精神を謳う人に猛反論!

 

これから、「介護は心」などと言う人に対しての猛反論をしたいかと思います。

 

個人的価値観が多く含まれるかもしれませんが、温かい目で見守り下さいませ。

 

もし、共感して頂くことができるお話ができれば幸いです。

 

 

人格否定になりえる

 

 「介護は心」と言って次世代の介護職員を育てようとすることの何が一番問題なのかというと、人格否定になりえる可能性があるからです。

 

もし、新人介護士や素人の職員さんが、仕事上または介護を通じてミスを犯してしまった時、「あなたの心に問題があるのです」とでも言うのでしょうか?

実際にそのような言い方はしないでしょうが、実際にあるアドバイスを聞くと、「介護は心です。気持ちがあれば必ず思いは伝わります」と曖昧なことを言って、結果的に個人の努力次第でその後を左右させていることが多いようです。

 

それを信じてしまった次世代の介護士さんはどうなるかというと、同じミスを繰り返してしまった時、「自分は心がダメなやつなんだ」「介護に向いていない」と自分自身の人格を否定してしまうことになってしまうことでしょう。

 

 もし、後輩や新人の介護職員さんにアドバイスするとしたら、次は同じミスを繰り返さないような具体的なアドバイスをしてあげるべきでしょう。

もし、「自分の頭で考えることができる人を育てたい」のであったとしても、わざわざミスをさせ続ける必要はありません。

先人の知恵や工夫を伝えた後で、自分で考える癖付けをさせたらいいのです。

 

 

 もちろん、介護に心、つまり思いやりや優しさなどは重要な要素かと思います。

 

しかし、一度でも介護業界に足を踏み入れようと決心した人の「心」が悪意に染まっているとは考えられません。

多少なりとも元々は、病気に苦しみ生活に困っている人を助ける仕事がしたいという思いがあったはずです。

「お金が稼げるから」「休日が多そうだから」という動機で就職する人は皆無であるはずですし。(笑)

 

初めは他者貢献をしようと思っていたのに、人格否定をしてしまうまたはされてしまうことによって、誰にも認めてもらえず、守るべきはずのものであった利用者に怒りの矛先が向いてしまい、虐待を行ってしまうケースもあるのではないでしょうか?

初めから「虐待してやろう」という目的をもって施設に就職する人はいないはずです。

 

 もちろん、ただ単にストレスに負けてしまって虐待をしてしまう人もいらっしゃるかと思います。

そういう人もいるからこそ、「心」ではなく「技術」について言及していくべきなのです。

もし、介護者の不甲斐なさが「技術」が原因とする雰囲気があれば、嫌なことがあったとしても改善の余地があると感じることができるでしょう。

 

 

「介護は技術」である

 

 「介護は技術」です。

 

自分自身の心身のストレスケア、感情のコントロール、他者との関わり方、全てのことを技術で補っていかなくてはなりません。

 

 介護者が誰になるかによって、提供されるケアの質に大きな変動があってしまっては、家庭介護と何が違うといえるのでしょうか。

給料をもらい、利用者に介護サービスを提供する集団組織に属している時点で、(特に有資格者は)プロなのです。

プロであるなら、家庭の介護と差別化を図り専門性の向上を目指さなくてはなりません。

専門性の向上を目指すということは、適切な知識や技術をもって訓練するということです。

そうすることで、利用者が受ける介護はより良いものになっていくでしょう。

 

 

 レベルの低い、または経験の浅い介護職員には、ストレートに技術不足だと言ってあげましょう。

これから成長する見込みと道筋が見えていて、現在はその過程であることを感じさせるのです。

 

 もちろん、介護者の心、思いやりや優しさも大事なものかと思います。

しかし、それを発揮させたり相手に伝える能力がないのであれば、意味がないです。

思いやりや優しさは、個人個人が+αで大事にしておけばいいものであって、必要条件ではありません。

 

「心」がどうかより、利用者の現実や身に起こる不安や危険を取り払い、安心と安全を与える「技術」の方がよっぽど重要です。

 

 

自分が言葉で説明できないだけなのではないか?

 

 「介護は心」「気持ち次第」ということをよく言う人ほど、介護についての知識や思考が浅いように思います。

  

「介護は心です、思いやりや優しささえあれば、気持ち次第で乗り越えることができます」と、実際に耳にしたことがありますが…

 

そのような戯言を言っている間に目の前で苦しむご高齢者を見過ごすのが正解なのでしょうか?

 

 そうではありませんよね。

誰が介護者となっても、どの介護職員が出勤していても、安定したケアを提供してサービスの質を保つのが専門性かと思われます。

 

それができていないのならば、その介護者の技術不足か、仕組みを作る側の人間たちが「心」や「気持ち」に訴えかけるばかりで、いつまでも専門性が低いまま向上させる気がないことが原因であるということができるかと思います。

 

 

 もし、専門性の向上を目指し、次世代の介護職員を育てたいのならば、技術面にフォーカスし、しっかりと言葉で説明してあげることが重要です。

 

具体的な言葉で説明できないとしたら、それは専門性が低いと言わざるを得ないかと思われますが、いかがなものでしょうか。

 

 

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 おわりに

 

  いかがだったでしょうか。

「介護は心」などと言う人が、次世代の介護士を潰す可能性。という私なりの考察でした。

 

 

 やる気がある、少なくともできるようになろうとしているのに、技術ではなく心に欠陥があると言われたら、誰でも落ち込みます。

ストレートに技術不足であり、まだまだ経験が足りないと言われている方が、改善や成長の意識を持つことができるでしょう。

人格否定をしてやる気を根本から損なわせてしまえば、これからの介護業界を担う職員たちはいつまで経ってもやりがいを感じることができず、3Kというレッテルを貼られた職種から抜け出すことはできません。

 

  

 思いやりや優しさ、「介護は心」が大事だということ自体は否定はしません。

しかし、それは個々人が勝手に大事にしておけばいいことで、他者から強制されるものでもなければ、必要条件として満たさなければならないものでもありません。

 

最後にもう一度繰り返しますが、介護にまず必要なのは「心」ではなく「技術」です。

 

閲覧ありがとうございました。