介護学×心理学ブログ

低賃金、人手不足、3K、何かと問題ばかり抱える介護業界。なぜ、介護の分野は成長していかないのか?それは専門性が低いからであり、あったとしても感情的・根性論が多いのが現状。介護の専門性とは何か?どうすれば向上していくのか?介護の本質を知らない、あるいは興味がない経営者に代わって、論理的に解説するブログ。

介護職が人間的に最も成長する仕事である3つの根拠【第1弾】

 

 閲覧ありがとうございます。介護福祉士をしているTAKUMIと申します。

 

 私は、介護職は給料や専門性は低いですが、人間的に最も成長する仕事だと思っています。

今回の記事では、その根拠となる理由を3つに分けてお話していきたいと思います。

 

 介護職が人間的に最も成長する仕事である3つの根拠【第1弾】です。

(第2弾があるのかはわかりませんが...)

お付き合い下さいませ。

 

 【目次】

 

 

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『相手に合わせる』の究極

 

 

 それでは、まず一つ目の根拠です。

何といっても、介護職という仕事は『相手に合わせる』の究極です。

 

ジェネレーションギャップ

 

 特に若い世代の介護職員は、自分が生存していなかった時代を生きておられた方を相手にするのです。

正直、昔話をされても想像力で補うしかありませんし、言葉遣いそのものが違ってきます。

 

 そして、一番大きいのが、価値観の違いです。

例えば、戦争を経験してこられたご高齢者は、「私たちは食べるものがなくて困っていた。残すなんて罰当たりだ!」と若い職員の食べ残しを注意します。

 

 しかし、1日2食以下に節約している一人暮らしの私からすれば、毎日3食もお腹いっぱいに食べる方が贅沢していると捉えてしまいます。

既に十分な栄養を摂り満腹感を感じているにも関わらず、「残すのはもったいないから」と無理して胃に詰め込むのはむしろマイナスな行為です。

もちろん、人それぞれ食事の摂り方は違っていいと思いますが、健康や経済的な観点から見れば、冷蔵庫という歴史的発明品を使って翌日に残した方がメリットは大きいはずです。

 

 逆の立場からの、違う意見もあります。

実際に耳にしたことがあるのですが、「せっかく料理して頂いて、綺麗にお皿に盛って下さったのに、食べ残したまま返すことができない...」です。

その心遣いは否定されていいものではありませんよね。

 

 何が言いたいかというと、時代が変わるにつれて本当に価値のある行為は何なのかという知識や情報は変化していきますが、変わらないご高齢者の価値観は尊重するべきなのです。

 

認知のギャップ

 

 ジェネレーションギャップのある中『相手に合わせる』必要がある。という話をしましたが、世代が近ければ苦労しないかといったらそうではありません。

 

 介護職と利用者様の間には、認知のギャップというものもあります。

認知症のある方は、健常者に比べて認知のズレが激しいです。

 

 例えば、ある特定の場所(例えば住み慣れた生活空間)では、適切な排泄行為を行えるのに、環境が変わるとできなくなってしまわれる方がおられます。

自宅ではポータブルトイレを使用することができていたのに、介護施設や病院に移った途端、ゴミ箱なんかに放尿してしまわれるといった具合です。

 

 これは、行動に問題があるのではなく、認知のズレに問題があるといえるでしょう。

ベッドやポータブルトイレの位置を自宅と同じように配置したりすることで、問題は解決されることもあります。

 

 一般の方からすれば、ゴミ箱におしっこをする時点で「問題行動をする厄介な人だ」と決めつけてしまいますが、

介護職からすれば、ゴミ箱におしっこをするのは「どこに問題があるのだろう?」と複雑な原因を探り当てることに努力します。

つまり、その人に合わせて適切な環境へと変えていくのです。

 

 

 そして、認知症高齢者の方は、認知機能や身体機能の低下により論理や理屈が無視された不合理な行動や、時には支えてくれているはずの介護職員を理不尽に攻撃してしまわれることもあります。

それは人間という生き物の醜き部分だといえるでしょう。

もし、理性や規則がなければ、結果など考えずに自分自身に甘くなり他人を犠牲にできてしまうのです。

 

 しかし、人間ならば誰しも同じ性質を持っており、普段は我慢しているだけということもできるのです。

それを我慢できなくなってしまったご高齢者に合わせて、自尊心や身の安全を守るといった支援に努めるのが介護職です。

 

 

これが『相手に合わせる』の究極です。

 

人間的に成長しないわけがないでしょう。

 

 

 

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とてつもないストレス化での自己コントロール能力

 

 

 介護職は、利用者様に合わせてただ生活支援をしていればいいというものでもありません。

 

自分のプライベートだってあります。

夜勤やシフトワークで体調の管理だってしなくてはなりません。

感情的になってイライラしてしまう時だってあります。

低賃金の中、誰にも感謝されず「報われない」という感情に陥ることだってあります。

 

介護職には逃げ場がない

 

 様々な悩みやストレスを抱える介護職ですが、何より介護職には逃げ場がありません。

 

 利用者の生活上の問題に対する悩み、ぶつけてこられる怒りやストレス、これらを介護職が避けて遠ざかろうとしてしまえば、利用者様は『孤独』という地獄に陥ります。

よって、介護職に逃げ場はありません。

(もし、本当に耐えられない場合は転職等をおすすめしますが...)

 

 そういう意味では、家族介護は辛いでしょうね。

自分の親を「老後厄介な人になったから」と違う人に変えることは不可能だからです。

そして、自分が逃げ出してしまえば、認知症になってしまった親は支えてくれる存在がいなくなってしまいます。

そうならないために介護サービスがあるため、自分自身や親のためにも無理せず利用して頂きたいものです。

 

本当の『最後の砦』 

 

 ちなみに、グループホーム(認知症対応型共同生活介護)という施設サービスが『最後の砦』といわれているのはご存知でしょうか?

認知症にかかってしまったご高齢者が、人として暮らせる『最後の砦』がグループホーム」という意味らしいです。

 

 これには私は異論があります。

まるで病院や特養(特別養護老人ホーム)で寝たきりになったりして過ごされている方々はもう人じゃないと言っているようなものです。

 

 もちろん、以前と変わらない姿で家事などを行い、活き活きとした生活を送って頂くことを理念に掲げておられるのは素晴らしいことですが、利用者のニーズはほぼ叶えられていないことがほとんどです。

なぜなら、どうしても集団生活となると規範に沿った行動をとって頂かなくてはいけなくなりますし、他人と違う行動をしようものならそれだけ介護職員の見守りや介助が必要になってきます。

希望を叶えてあげたくても、「人手不足で相手なんてしてられない」という状態に陥ります。

 

 そして、何より主張したいのが、介護施設を利用して赤の他人の世話になっている時点で、ご高齢者本人からしたら「もう私は死ぬのを待つだけ」と終わりを告げられたような感覚になってしまわれることです。

 

 つまり、グループホームという介護施設は『最後の砦』ではなく、『最初の扉』という表現の方が近いと思われるのです。

 

 ということは、本当の『最後の砦』が何になるのかというと、施設利用前の家族様に当たります。

しかし、介護の経験がなく自分の仕事にもいかなければならない状況で、親を最後まで支えるのは難しいです。

そのため、親の残りの人生を介護職員に預けられるのです。

 

 ここで再度、『最後の砦』の定義を何にするのかと問われれば、『人』だと答えたいかと思います。

どの介護サービスを利用されるにしても、その人の人生が終わったわけではありません。

私は、いかに”寄り添う人”が重要であるかを伝えたいのです。

 

 

 『最後の砦』として家族様から預けられたご高齢者の、また新たな人生に寄り添っていかなくてはならないのです。

 

 自分自身のストレスを表向きにすることなんてできません。高い自己コントロール能力が求められるのです。

 

 

 

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一瞬で信頼を勝ちとる第一印象力

 

 わかりきったことかと思われますが、認知症の方には記憶力の低下がみられます。

というより、主な症状といえるでしょう。

 

 毎日施設に通っているはずの職員の顔を覚えることすらできず、自分の家族の顔や名前も思い出せないということも珍しくはありません。

 

 そんな中、部屋のベッドで横になっておられる利用者様をトイレや入浴にお誘いするのは容易ではありません。

はじめましての顔の人間に、人間の一番デリケートな部分でのお誘いをされるのです。

 

 介護職員は他の業務もこなさなくてはいけないため、何時間もかけて説得してられません。

しかし、無理やり引っ張っていくわけにもいかず、怒らせてしまえば逆に時間がかかることもあります。

そのため、一言目のあいさつで良い印象を与え、一瞬で信頼関係を築かなくてはなりません。

 

その介護職員は敵か?味方か?

 

 安心や落ち着きを与えるためには、説得よりあいさつを意識しなければならないというお話をしました。

 

 逆にいえば、一言目で信用してもらうことができたら、たいていのことは言うことを聴いてもらえるようになります。

 

 私から見た利用者様は、声をかけてきた介護職員が”どういう人間か”は重要視されていないように感じます。

どちらかというと、”自分にとってどういう存在か”を判断されているように感じるのです。

 

 「ここがどこかもわからない」「周りにいる人間が誰なのかもわからない」そんな自分に話しかけてくる職員は敵か味方なのか?言うことを聴いていい存在なのか?を判断されているように感じます。

 

 

信頼関係を構築するのには時間がかかるが、壊れるのは一瞬

 

 利用者様に信用して頂くために、第一印象が大事だと言いましたが、あくまで第一印象です。

 

 利用者様の中にも、職員のことを「なんとなく顔を知っている」と覚えて頂けることもあります。

 

 そういった方には日々の関わりが重要でしょう。

大きな建物の中様々な人がいて、目が回る思いで生活されている方との信頼関係を結ぶのには時間がかかります。

しかし、人間とは面白いもので、信頼関係が壊れる時は一瞬です。

物盗られ妄想や実際の職員の不備により利用者様に疑いの目を向けられると、良い行いをした時以上に記憶に残るようです。

一瞬でも自分の身に危険を感じれば、普段より感覚や本能が研ぎ澄まされるのでしょうか。

 

 

 一瞬で信頼を勝ちとる第一印象力の具体的な手法はまたの記事で書きたいと思いますが、

利用者との信頼関係を構築するのがいかに難しく、いかに重要かがわかって頂けたでしょうか?

 

 毎日「はじめまして」の状態からスタートする人間関係をより良いものにしようと努力する介護士が成長しないわけがないでしょう。

 

 

 

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まとめ

 

 

 いかがだったでしょうか。

介護職が人間的に最も成長する仕事である3つの根拠【第1弾】でした。

(はたして、第2弾があるのかはわかりませんが)

 

3つの根拠それぞれを簡単にまとめると、

 

◯『相手に合わせる』の究極

世代、認知のギャップや価値観の違いを受け入れ、個々に合わせた対応力。

 

◯とてつもないストレス化での自己コントロール能力

3Kといわれる介護士ですが、家族様から親を預かる『最後の砦』、逃げ場はない。

 

◯一瞬で信頼を勝ちとる第一印象力

人と人とが信頼関係を構築するのには時間がかかるが、毎日が「はじめまして」の利用者様に、一瞬で味方であると信用を得なければいけない。

 

 

 ここまで説明すると、介護職が人間的に成長するという根拠であると同時に、とても辛い職業である根拠の説明に聞こえるかもしれません。

確かに、とても辛い職業です。今でも逃げ出したくなることは多くあります。

 

 しかし、途中でも触れましたが、逃げ場はないといえど仕事は仕事です。

無理して自分を追い込むのではなく、会社か職業を変えてしまえばいいのです。

 

 そして、介護という仕事を通じて培われた人間関係力は、その後どのような人生を歩むにしても活かされると私は思っています。

自分の感情をうまくコントロールし相手の尊重を忘れず、他人の人生最期の支えを担っている介護士さんが、人間的に底辺なわけがないとだけ言っておきます。

 

ただ、無理はしすぎないということと、楽な方へと逃げてしまわないようにだけ注意してくださいませ。

 

閲覧ありがとうございました。