介護施設ではご高齢者を幸せにできない理由を3つの視点から考察してみた。
閲覧ありがとうございます。介護福祉士をしているTAKUMIと申します。
いきなりではありますが、私は、ご高齢者を幸せにするためには介護施設というサービスは不向きであると強く思っています。
なぜなら、誰もが望んでいない形でのサービス提供がほとんどだからです。
超高齢社会となり需要は増え続けてはいますが、しっかりと利用者であるシニアのニーズを把握し、供給していこうとする施設は少ないのです。
それどころか、ただ部屋を埋めるためだけに、または在宅での生活に困っておられる方の行先というだけの認識でいることが少なくはないです。
誰もが迎えるはずの老後なのに、個人の思いが尊重されたサービスを提供したいとは思わないでしょうか?
本当に、誰もが施設という箱に入れられて集団生活することが幸せだとお思いなのでしょうか?
今回は、介護施設ではご高齢者を幸せにできない理由を3つの視点から考察してみたというテーマでお話を進めさせて頂きます。
もちろん、介護施設を全面否定しているのではありません。
この記事を読んで下さる介護士さんが様々な視点に立つことができるよう、1介護士の意見や考察をお伝えしたいのです。
ぜひとも、お付き合い下さいませ。
【目次】
介護現場に興味がなさすぎる、経営者。
まず、1つ目の視点からですが、何といっても介護施設を経営している者の考察が必要でしょう。
施設によるとも思いますが、ハッキリ言って介護施設の経営者は介護現場に対して興味がなさすぎます。
興味がなさすぎるというのは、現場への理解力とマネジメント力の低さにあります。
介護現場への理解
最近感じることがあるのですが、介護職員ほど「自分の思いや愚痴を聴いてほしい」という感情が強いように思います。
というのも、普段生活への苦しみや過去の後悔などの不満を口にされる利用者様の話を傾聴することに努めすぎていて、自分の思いを表出する機会が少ないのです。
直接的に利用者に何かをするのではなく、その利用者を支援する現場職員の思いや不満を傾聴をすることが、介護施設の上司に求められる仕事なのかもしれません。
「うちの上司は忙しいから相手してもらえない」「施設長は現場のことをよく知られてないから、話をしてもわかってもらえない」と現場職員に思わせてしまってはいけないかと思います。
マネジメント力
中には、現場にいる職員をただの消耗品だとしか思っていない人もいます。
実際にお会いしたことがあるのですが、介護職員一人一人のレベルやアイデンティティを無視して、頭数として数字で数える人もいました。
その人は、職員の顔と名前を覚えることができず、何人配属されているのかという数字しか頭になかったようです。
人対人として仕事をしている介護職員のアイデンティティを尊重してあげなければいけないことは言うまでもなく、細かい数字の管理なんかより職員一人一人のスキルアップの方が重要かと思います。
変に利用者様のニーズを感じ取ろうとし、叶えようとする必要はありません。
現場の職員やケアマネがアセスメントやケアプランに沿った支援をしているのですから。
その利用者様の支援に携わる介護職員たちを支え持ち上げることが、介護施設の経営者に求められるのではないでしょうか。
それどころか現実は、職員の育成や支援を怠り人手不足に陥ったところ、介護への理解が低い自分自身が現場勤務をカバーしなくてはならない状態にある経営者も珍しくはありません。
それでは、その施設を利用するご高齢者の幸せは考えられませんし、本来の役割すら果たせていないということができるでしょう。
成長意識がほぼ皆無な、現場職員
続いて2つ目の視点は、実際に現場で働く介護職員への考察です。
1つ目の視点の経営者への考察で、現場職員への育成に励まなくてはならない!という話をしましたが、実際の介護現場の職員に成長意識が皆無であるという事実も否めません。
その原因は、ここでは3種類あると主張させて頂きます。
職員が個人的成長に意識が向かない原因3種類
1つ目は、それこそ経営者の現場への理解が低いために、正しく評価してもらえず給料にも反映されないためと、個人としての成長を諦めるケースです。
2つ目は、いわゆる女の職場というやつで、出る杭は打たれることを恐れて肩を並べようとする精神です。
もちろん、女性が多い職場だからダメというわけではありません。
協調性があるという意味では良いことですし、特に家庭のある主婦は仕事にだけ意識を向けることは難しいでしょう。
しかし、どちらにしても一緒にいる職員と目の前の業務をこなすだけという状態にあります。
3つ目は、世間からの評価通りに働いてしまう職員がいることです。
介護職というお仕事は3Kと言われたり専門性が低いと言われることもあり、「年寄りのお世話」とネガティブな印象を持たれがちですが、実際にはもっと深みのある仕事だと思います。
誰でもできる仕事のように見えて、毎日関わる介護士にしかできないということもあり、その工夫や楽しみを周囲に広めるどころか、世間から見られた通りに「大変だけど給料が低い」という愚痴をこぼすだけで終わってしまっていることがあります。
自分への介助技術の向上などを怠り、ただ作業のように仕事をして帰っていくだけの介護職員に支援されて、ご高齢者は幸せになれると思いますか?
介護施設を望んでいない、利用者。
当たり前な話ですが、客が希望していないサービスを提供してお金をもらうなんておかしいですよね?
それが介護施設です。
『帰宅願望』という矛盾
よくよく考えたら『帰宅願望』って矛盾があるとは思いませんか?
やむを得ない理由があったとしても、様々な介護サービスがある中で施設入所を選ばれたはずなのに、「ここにはいたくない、家に帰らせてくれ」と言うのです。
介護職員は「確かに家にいるのが一番いいよね、帰らせてあげたいけど...」が本音ですが、人員の不足や家族様都合により実際には帰らせてあげられません。
このようにして、利用者の希望とサービス提供の目的が反発するようにぶつかりあってしまうのです。
自宅で独りにさせることはできずお世話することもできないという家族を客として捉えると、仕方のない現象なのかもしれませんが、利用者となるご高齢者は”物”ではなくしっかりとした感情のある”人”なのです。
つまり、お客様にあたるご高齢者自身が望まないサービスを無理やり受けてお金を払っているようなものです。
かといって、そもそも認知症高齢者の方が提供されているサービスを理解できていないということもいえます。
もしかしたら、その人にとって最適に近いような利用の仕方をしているかもしれないのに、実際に自宅に帰っても安心するというわけではないのに、『帰宅願望』がみられることがあります。
その解決策を明白にすることは難しいですが、1つだけ言えることがあります。
その人が落ち着くポイントはあるか?
どんなに強く激しい『帰宅願望』を訴えられても、24時間ずっとということはないと思います。
もし、休むことなく暴れ続ける人がいたとすれば、”精神病”というよりは”精神に問題があると決めつけられた認知症高齢者に精神薬を投与しておかしくなってしまった”というケースが考えられると私は勝手に思っています。
何が言いたいかというと、精神薬など”余計なもの”を使用していたり虐待や身体拘束などをしていなければ、
施設の中での3回の食事や睡眠、トイレや入浴、家事などの活動も含めて、その人が落ち着けるポイントは必ず存在するということです。
例えば、食器洗いや洗濯物干しなどの家事をお願いすると家に帰るということなんか忘れて積極的にして頂けたり、習字セットをお渡しすると時間も忘れて集中してしまわれたり。
そういった『落ち着くポイント』は必ずあるかと思います。
家に帰ることも忘れて『落ち着くポイント』に取り掛かれる時間を増やしていくことが、寄り添う介護職員には求められる仕事かと思います。
反対に、1日中「家に帰りたい」ということしか頭にない利用者がいるとしたら、それだけ適したサービスが提供できていないということになるでしょう。
おわりに
いかがだったでしょうか。介護施設ではご高齢者を幸せにできない理由を3つの視点から考察してみたでした。
介護施設の経営者も職員も利用者も、誰のためのサービスなのかの理解が求められると思います。
そうすると、施設という箱の中だけで生活させるのは大きな間違いであるということができると思います。
介護施設を全面否定しているわけではありませんが、重要な問題です。
「家での生活ができなくなったから仕方なく入所」はわかります、もともとそういうサービスです。
しかし、「ご高齢者の不満は仕方のないものだから」と、何も改善しようとしないのは悪です。
誰もが迎える老後の生活を豊かに幸せにするためには、どんな介護サービスが適しているのかを本気で考えていくべきでしょう。
提供する側も利用する側もが、自らが選択したくなるような介護サービスがたくさんできることを願っています。
そのためのアイデアや考察を、今後も記事にしていけたらなと思います。
閲覧ありがとうございました。