介護学×心理学ブログ

低賃金、人手不足、3K、何かと問題ばかり抱える介護業界。なぜ、介護の分野は成長していかないのか?それは専門性が低いからであり、あったとしても感情的・根性論が多いのが現状。介護の専門性とは何か?どうすれば向上していくのか?介護の本質を知らない、あるいは興味がない経営者に代わって、論理的に解説するブログ。

介護士の、共感能力が上がる方法を考察してみる。

 

 介護士たるもの、相手(利用者)の状況や感情をしっかりと言葉で説明できる範囲にまで、理解を深めることができていないとしたら、とても恥ずかしいことではないでしょうか?

 

そこで今回は、介護士の共感能力が上がるための方法を考察していきたいと思います。

 

本当の意味で、相手に共感しようと思えば、我々に何ができるでしょうか?

どのような姿勢や考え方が求められるのでしょうか?

 

 【目次】

 

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共感の仕方

 

 先に言っておきますが、今回お話する中で出てくる「共感」とは、感情を共にすることです。

 

よく、女性同士の人間関係でみられますが、状況が変われば陰口を言うような、その場だけ意見を合わせる「同調」とは違います。

 

言葉の意味としては類似しているかもしれませんが、相手の調子と同じように自分の調子を合わせるのが「同調」で、相手の感情を共に感じることが「共感」だというのが私の解釈です。

 

つまり、時と状況によって相手の調子に合わせる「同調」は、いわば八方美人で、感情を共にすることで相手への理解を深める「共感」こそが、世代や心身の状態など自分とは大きく異なるご高齢者を支援する介護士に必要な能力なのではないでしょうか。

 

事実的な記憶が長続きしない認知症高齢者の方にとって、その場だけでも良い人になれることは素晴らしい技術のため、八方美人の方やそれをすることを非難しているわけではありません。

 

本当の意味でその人の感情を共にし、相手の気持ちを理解できるようになろうというのが、今回のテーマです。

 

それでは、共感能力を上げるための方法を提案していくのですが、まずは相手を理解できないことを理解することから始めましょう。(笑)

 

 

あくまで他人であることの理解

 

 他人の気持ちを100%理解することはできません。

どの心理学者やプロマジシャン、セラピストでも同じことでしょう。

人の気持ちを完全に把握できるとしたら、神様くらいなものです。(私は神がいることを信じていないため、存在しないということです)

 

相手に共感しようというテーマで話を始めたのに、相手が他人であることの理解から始めるという矛盾したような話ではありますが、その理由は、人には必ず思考の癖があるからです。

 

 人間には「バイアス」といって、あらかじめ脳に備わった思い込みや先入観があるそうです。

 

バイアスとは何か。その定義は、

「人間の脳に備わった思い込みや先入観のこと」

引用元:無理なく限界を突破するための心理学 突破力

 

つまり、自分のバイアスを取り除かないことには、相手を正しく理解することはできないのです。

 

そして、困ったことに、「俺には思い込みなんてないよ。先入観なく人と付き合えるんだ」と言っている人に限ってバイアスが強いのです。(というかそれが既に思い込みになっています)

 

そのため、相手を正しく理解しようとするならば、まずは100%理解できないということを理解することです。(笑)

しかし、共感能力を上げようと思うなら、相手を理解することに努める姿勢が求められるという難しい話なわけです。

 

 そこで、今回のテーマに答えを出すとしたら、自分の思い込みを自覚し、あらゆる視点から相手の感情の理解に努めよう

というのが、共感能力を上げるための方法として適しているという見解です。

 

 

予想してみる

 

 自分とは異なる人間である相手を他人だと理解した上で、どうやって共感していくのか?

共感するために、どうやって相手の気持ちを把握するのか?

 

それは、予想してみるのが一番だと思います。

 

 例えば、介護士として利用者の方を理解したい時は、「もし、自分が認知症だったら?」と予想してみましょう。

 

もし、自分が認知症になってしまい、同じような状況に陥ったら、どんな気分になるでしょうか?

わからないことやできないことだらけで他人の助けが必要になり、死ぬまで施設で生活しなくてはならなくなったら、自分はどうなると思いますか?

 

家族との関係性の悪い利用者の方を見て、「自分がやってきたことが返ってきている」と見下してしまいそうになることもあるかと思いますが、今自分の人間関係に問題は全くないと言えるのでしょうか?

 

人間は、他人を評価する時は厳しい目で見れるものですが、自分のこととなると甘くなってしまうようです。 

そのため、目の前に映る光景だけで判断しようとするのではなく、「もし、自分が同じような状況になったら、どのような感情を抱くだろうか?」と予想してみましょう。

 

 もしかしたら、目の前の相手は不幸な人なのかもしれない。

むしろ、そのような状況で、よく頑張っておられるなと感じることができたら、その人が求める行為をしてあげたくなるでしょう。

少なくとも、感情を共にすることは成功しているといえます。

 

 

 または、もしご高齢者の気持ちなんて予想もつかないのであれば、自分がまだ子供だった時のことを思い返してみましょう。

 

 

年老いた経験がなくても、生まれついた経験は誰しもある。 

 

 高齢と言われるほどまだ年老いておらず、自分より下の者たちの世話が必要になった経験はないとしても、その逆はあるはずです。

自分が社会性や倫理的なことを気にせず、感情のままに動いていた頃があるかと思います。

 

よく耳にするような、「歳をとると、赤ちゃんに戻っていく」という失礼なことは言いませんが、類似している点はいくつかあります。

 

例えば、認知機能や身体機能の低下は老化によるもので、中核症状は認知症が原因です。

しかし、「問題行動」といわれる周辺症状(BPSD)は、認知症が直接起因しているわけでなく、とても人間的な行動・心理症状であるというのが個人的な見解です。

 

もちろん、老化や認知症が元となる原因となって、一般的ではない行動や心理が引き起こされてしまうのだと思いますが、その後の行動自体は人間味のある欲望だったりします。

 

私たちにも、仕事のストレスで暴飲暴食をしてしまったり、疲れが溜まって昼まで寝てしまった経験があると思います。

 

元となる原因が違うだけで、行動自体は人間として理解できないものではありません。

 

そのため、「歳をとると、赤ちゃんに戻っていく」というのは、理性や自制心が失われ、人間味が増していくという解釈ができるかと思います。

 

 

そう考えると、子供の頃でなくても、最近自分がやってしまった人に言えないようなみっともない行為(私の場合、予算以上の買い物をして返品作業に時間を費やしたこと)や、情けないこと(お風呂に入らず寝てしまったこと)を思い返してみましょう。

 

すると、自分にもダメなところがあることに気づきます。(あのスーパーの店員さんにはひどい迷惑をかけたものだ)

 

 

 つまり、話を戻すと、認知症であれ高齢者であれ健常者であれ、人間誰しもあるはずの醜さを受け入れようという話です。

 

リーガル・ハイ2』の最終回で、堺雅人さんが演じた古美門先生も、人間の純粋さを信じて美しさを見ようとする(岡田将生さんが演じた)羽生晴樹に、「(前略)もし、君が皆が幸せになる世界を築きたいと本気で思うのなら、方法は1つだ。醜さを愛せ」という名言を残しています。

 

 

もし、他者への理解に苦しむのであれば、自分への理解を深め、「この人は認知症だから仕方ない」「私たち介護者が変えてあげなくてはならない」と事実を変えようと躍起になるくらいなら、お互いに人間として醜い生き物であることを受け入れた方が良いのではないでしょうか。

 

 

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正直言うと、他人の気持ちなんてわからない。

 

 正直、いつまで経っても人の気持ちなんてわからないと思います。

 

自分という人間でさえ、理解が足りていないことが大いにあります。(買い物をするのに、財布の中身を把握できていないほどです)

 

そのことを自覚して、自分なりの解釈で相手の感情を予想して、それでも100%理解することは不可能であることを理解しなくてはなりません。

 

1つだけ確実に言えることがあるとするなら、理解に努める姿勢を失うと、共感能力は一気に下がるということです。

 

わからないことをわかろうとし続けるのは辛いことですが、その姿勢こそが共感能力を高める最適な努力なのではないでしょうか。

 

閲覧ありがとうございました。