介護学×心理学ブログ

低賃金、人手不足、3K、何かと問題ばかり抱える介護業界。なぜ、介護の分野は成長していかないのか?それは専門性が低いからであり、あったとしても感情的・根性論が多いのが現状。介護の専門性とは何か?どうすれば向上していくのか?介護の本質を知らない、あるいは興味がない経営者に代わって、論理的に解説するブログ。

介護職員の「声かけ」を成長させる唯一の方法と3つの段階。

 

 利用者の方に声かけがうまく伝わり、スムーズに介助や業務が進行すればいいなと思ったことはないでしょうか?

 

または、自分が関わろうとすると拒まれてしまって介助が行えないことすらあります。

 

人によっては、声かけ自体には問題ないんだろうけど、特定の利用者の方と気が合わないのかいつもこの人との関わりがうまくいかないというケースもあるでしょう。

 

そんな誰もが必要としている「声かけ」という技術、その他の介助に比べて成長を感じにくく、上達への道筋も見えにくいです。

 

 そこで今回は、介護職員の「声かけ」を成長させるための工夫を3つの段階に分けて紹介してみます。

 

ちなみに、「声かけ」のことを「指示」と言って、それが通じないことを利用者の認知度のせいにする人は論外です。

 

声かけは技術であり、健常者と言われる人より認知機能が衰えた人を相手にしている介護士ならば、鍛えなくてはならない分野です。

 

 【目次】

 

 

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試行錯誤の繰り返しが、上達への道。

 

 先に結論を言ってしまうと、「声かけ」という介護技術を上達させるためには、試行錯誤の繰り返しが唯一の道です。

 

どれだけ毎日一緒にいて観察していようが、他人の気持ちや相手の感情なんてものはわかりません。

 

長年付き合ったカップルや夫婦でも喧嘩してしまうことがあるように、相手の求めるコミュニケーションを行うためには、相手に興味を持って考え続けることの他にないのです。

 

というより、長い時間一緒にいるからこそ、相手に興味を持って観察することを意識するべきだと言えるでしょう。

 

なぜなら、長い時間一緒にいると相手をわかった気になってしまい、興味が薄れて観察能力が落ちていってしまうからです。

 

初対面の人が相手であれば、相手に興味を持ちやすいですし、「自分はこんなことを言って大丈夫だろうか」と自分の発言に注意を払います。

 

 つまり、うまい声かけをするためには、「こうすれば大丈夫」という単一的な答えなどは存在せず、「どうすればいいのだろうか」と日々試行錯誤を繰り返すのが最も重要なのです。

 

そして、認知症高齢者を相手にしている介護士の場合、試行錯誤を行う条件とメリットが多く揃っています。

 

 

幸いにも、忘れてくれる。

 

 表現が適切ではないかもしれませんが、介護士としてのコミュニケーション術、「声かけ」を行う相手は認知症高齢者の方です。

 

つまり、記憶力が低下してしまっている人が多いです。

 

5分前に食べた食事のメニューや食べたことすら記憶にない人は多いです。

 

だからといって、何でも言っていいというものではありませんが、むしろ、だからこそ、「声かけ」が失敗しても忘れてくれて試す機会が多いとも言えます。

 

その人が理解しやすいため、介助拒否のある人に受け入れてもらうため、自分たちの業務をスムーズに進行させるため、に、最も効果的で効率的な声かけをするためには「どうすればいいのだろうか」と工夫を重ねやすいのです。

 

そのためには、いつも違う声かけを行う努力をした方が良いでしょう。

 

もし、当たりを引けばラッキーですし、毎日ルーティンになるより変化をつけた方が自分自身も楽しいと思います。

 

 

失敗したら、謝る。

 

 試行錯誤を繰り返しているうちに、その人の逆鱗に触れるような失敗を犯すこともあるでしょう。

 

突拍子もないアイデアが功を奏することもあれば、元々理解力が衰えてしまっているのにわけわからないことを言われて、混乱と怒りの感情を引き起こしてしまうことだってあります。

 

しかし、大したアドバイスではないかもしれませんが、そういう時は素直に謝りましょう

 

 

 冒頭でも言ったように、「声かけ」を「指示」と考えている人は、素直に謝るということができていないことが多くあります。

 

何度も言いますが、「声かけ」は立派な介護技術です。

 

認知機能が衰えてしまっている人が相手であるという前提があるのに、その人との間のコミュニケーションで、相手に責任を負わせるのはプロとしてどうなのでしょうか?

(もちろん、利用者が怒るのは介護士のせいという意味ではありませんが)

 

相手は認知症や老化により、健常者と言われる我々よりも、言ってしまえば物分かりが悪いという状態です。

 

そういった人と関わるのが仕事という前提があるのなら、自分の声かけが原因で怒らせてしまったのなら、謝るのが当然でしょう。

 

謝ってもわかってもらえないという思いがあるのか、それこそすぐ忘れるだろうという考えでいるのか、「声かけ」を「指示」と捉え利用者の方を下に見る介護職員は、人に謝るという当然の行為ができていないことが多くあります。

 

どうでもいいことを言いますが、相手が自分の子供であったり世話してやってる後輩であったり、実際の力関係が下にある存在だったとしても、自分が間違った行いをすれば謝るというのは人として当たり前にできなくてはならない行為だと思うのは私だけでしょうか?

 

かといって、自分を責める必要はありませんし、心の底からの謝罪とか、何かで償う必要があるわけでもありません。

 

何なら、相手の機嫌を直すという目的のためだけに、本心とは裏腹でも演技でもいいから頭を下げましょう。

 

 

 認知症高齢者の方は、幸いにも、何があったのか忘れてくれます。

 

しかし、認知症の方は記憶は残らないが感情は残る」と言うように、不快な感情は残ってしまいます。

 

それを逆手にとれば、自分が間違った声かけをしたという事実は変えられないが、相手の気分は変えられるということです。

 

認知症は治らないが機嫌は直る」は、「認知症「ゆる介護」のすすめの著者である柳本文貴さんの名言です。

 

もし、認知症高齢者の方を怒らせてしまった時、何が悪いのかと原因を探ろうとしてしまえば、自分は悪くない相手がワガママな老人なのだという姿勢に至ってしまいます。

 

そのため、相手の機嫌を直すことだけを考えて、感情面にアプローチをかける意識を持ちましょう。

(ちなみに、よく女性の怒りを、問題の解決策の提示で収めようとする男性も、相手の怒りや苦しみといった感情に共感することから始めることを肝に銘じた方が良いです)

 

 実際に声かけをする場面でも、「お風呂に入った方が体にいいから!」とどれだけ筋の通った根拠を提示するよりも、

「ここのお風呂は特別に良いところで、、」「◯◯さんのために用意しました」と感情面にアプローチすることで、「ちょっと行ってみようかしら」という気になってもらえることは多くあります。

 

 

成功したら、記録と記憶をする。

 

 介護現場で働いているうちに、声かけの当たりを引いた経験は誰しもあると思います。

 

ある職員が行った声かけが当たりを引き、利用者の方の介助拒否や帰宅願望が落ち着く場面です。

 

すると、職員間で「次からは~~って言うと、あの人落ち着くよ」という情報共有が行われ、その対応方法が定着します。

 

これが、利用者の毎日の感情の流れや人となりを理解している介護士ならではの専門性の一つだと感じます。

 

実際に、公式の記録やケアプランにも「◯◯という行動が見られたら、~~という対応をすることで落ち着かれる」と記載されることもありますでしょう。

 

 

 しかし、ここまででは成功体験の「記録」の段階です。

 

今回伝えたいのは、成功(または失敗)体験を「記憶」しておいた方が良いということです。

 

「記録」の段階で止まっている職員たちは、一度の成功体験による対応方法をしつこいくらいに繰り返すことが往々にしてあるのです。

 

そして、◯◯さんにはこの対応方法で大丈夫という思い込みがあるが故に、それがうまくいかなくなった途端、「もう何を言ってもダメだ」と柔軟性がなくなってしまいます。

 

最初の見出しでも話しましたが、どんな人間関係でも、そのコミュニケーションに「こうすれば大丈夫」という単一的な答えは存在しません。

 

毎日変わらない日常を送る介護現場でも、繰り返すべきは同じ対応方法よりも、対応方法の試行錯誤です。

 

いくら認知症高齢者といえど、日によって気分が変わったり時が経てば感情は揺れ動いていきます。

 

 そこで、今回おすすめしている「記憶」の段階では、相手が快く(または不快に)思う人物像をタイプとして把握しておきましょうということです。

 

単一的で具体的すぎる声かけや対応方法ではなくて、もう少し抽象的にその人が求める人物像を把握しておくと良いと思います。

 

これは、個人的な感覚とか曖昧なものという意味ではなくて、その人が不快に思うことはなんとなく決まっているだろうということです。

 

 例えば、「◯◯さんは、物事がハッキリしない様を見ると不安になってしまう」ということが把握できたら、説明の内容や根拠は何でもいいから「大丈夫ですよ」と言って安心させるポジションを取るのが賢明だということがいえます。

 

でも実際は、その人の不安を聴いてあげることが一番の安心につながる行為なのかもしれません。

 

その答えは、試行錯誤して反応を見て判断していくしかありません。

 

「声かけ」に、「こうすれば大丈夫」という答えは存在しないのですから。

 

日々、その人のために「どうすればいいのか」を考え続けるのが、最も良好なコミュニケーションの取り方だと思います。

 

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あくまで、味方であることが大前提

 

 冒頭で、「声かけ」のことを「指示」と言って、それが通じないことを利用者の認知度のせいにする人は論外と言いましたが、

もちろん、かといって介護職員に100%の責任があるとは言えません。

 

私が言いたいのは、「声かけ」がうまくいかない原因を認知症のせいにして、諦めてしまうことに問題があると言っているのです。

 

認知症ですぐ忘れる」を、「何を言っても無駄」と捉えるのはとてももったいないとは思いませんか?

 

「すぐ忘れる」のなら、「すぐ再挑戦できる」という捉え方もできないでしょうか?

 

 もし、恋愛やその他の人間関係で、相手に自分の思いを伝えたり行動を促そうとした時、失敗して嫌われてしまったら、どれだけ謝っても話を聴いてくれないことすらあります。

 

それを、認知症高齢者である利用者の方は、我々職員の話を受け入れて聴いてくれるわけです。

 

それは、単に嫌なことをされたことを忘れているだけだとも言えますが、施設という箱の中から出ていない利用者の人からしたら、職員しか関わる相手がいないわけで、

言い換えれば、心身ともに困り果てている利用者の方は、職員だけが頼りなのです。

 

そう考えると、一度は喧嘩や口論をしようが、お互いにそのことは忘れてまた次の関わりを展開していかないと、利用者の方を支えるものがなくなってしまうわけです。

 

 「あの人は何を言っても無駄」「どうしようもない人だ」と敵対した考え方でいるのではなく、

あくまで味方であることを大前提として、「どうすればわかってもらえるのだろうか?」と日々試行錯誤を繰り返していくのが、介護職員の「声かけ」を成長させる唯一の方法だと思います。

 

 

「私は失敗したことがない。ただ、1万通りの、うまくいかない方法を見つけただけだ」というのは、偉大な発明家であり起業家であるトーマス・エジソンの有名な名言ではないでしょうか。

 

しかし、どれだけの(失敗したところで痛手や損が少ない)介護職員が、これを実行に移せているでしょうか?

 

閲覧ありがとうございました。